いったい何が始まるんです?

ロシアの空港で、ポーランドの大統領専用機が着陸に失敗して墜落し、大統領夫妻を含む乗員・乗客が全員死亡したとみられる、とのこと。


http://www.asahi.com/international/update/0410/TKY201004100211.html

ポーランド大統領機墜落 大統領ら96人全員死亡

 ポーランドカチンスキ大統領(60)夫妻が乗ったワルシャワ発の特別機(ツポレフ154)が10日午前10時50分(日本時間同日午後3時50分)ごろ、ロシア西部スモレンスクの空港近くの林に墜落した。ロシア緊急事態省によると、同機には96人が乗っていたが、地元当局は生存者はいないと発表した。大統領はこの日、旧ソ連によるポーランド人虐殺の「カチンの森事件」70年の追悼式典に、高官や遺族ら代表団とともに出席する予定だった。

 メドベージェフ大統領は同日、プーチン首相をトップとする事故解明委員会を立ち上げるよう命じた。インタファクス通信によると、事故当時は濃霧で視界が悪いなか、モスクワなどに場所を変えず、スモレンスクでの着陸を強行。4回着陸を試みた後、機体が樹木に接触し、その後炎上したという。

 ロシア国営テレビが現場から伝えた映像では、林の中に機体が散乱し、各所で白い煙が上がっていた。緊急事態省などが捜索にあたった。

 10日はスモレンスク近郊のカチンにある追悼施設「カチン・メモリアル」で、ポーランド側主催の式典が開かれる予定だった。ポーランドからの代表団は88人で、政府高官や下院副議長、国立銀行総裁のほか、カチン事件の遺族ら約50人が乗っていたという。

 カチンスキ大統領は1949年ワルシャワ生まれ。70年代から反共産主義運動に加わり、80年結成の自主管理労組「連帯」で副議長に就任。ワレサ大統領時代には安全保障担当の補佐官を務めた。05年の大統領選で当選。06年には双子の兄を首相に指名し、07年まで「双子支配」として知られた。冷戦時代にポーランド支配下に置いたソ連への反感が強く、ロシアとは敵対的な姿勢をとってきた。

カチンの森事件」というのは、第二次世界大戦中の1940年に、国境に近いスモレンスク近郊で、ソ連の秘密警察がポーランド人捕虜を虐殺した事件です。その犠牲者数は、一箇所に集められていた遺体が確認されただけで4千数百人、何箇所かある埋葬場所に埋められていた総数は2万人を超えるといわれています。


この事件はソ連によって隠蔽されていたのですが、1943年にスモレンスクを占領したナチス・ドイツによって犠牲者が発見され、明るみに出ました。ナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは、この事件を反ソ連プロパガンダとして大々的に報じます。これに対し、ソ連は「虐殺はナチスの仕業」と逆にやり返し、以降は戦後も一貫してこの主張を繰り返します。戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判でも、ソ連はドイツをカチンの森事件で告発しますが、アメリカもイギリスもこの告発を支持せず、裁判ではこの事件には触れられませんでした。


結局、この事件の真相はソ連が崩壊するまで解明されることはなく、1990年にゴルバチョフ大統領がソ連戦争犯罪を認めるまで、ずっと「虐殺はナチスの仕業」と言い続けていたのです。


ちなみに、アンジェイ・ワイダ監督はこの事件を題材とした映画を作りましたが、ワイダ監督の父もこの虐殺の犠牲者の一人となっています。

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つい先日には、70周年記念で両国の首相が参加しての追悼集会も行われています。


http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100407-OYT1T01373.htm

カチンの森事件」追悼集会で70年後の和解

 第2次世界大戦中の1940年にソ連の秘密警察が捕虜のポーランド軍将校ら約2万2000人を虐殺した「カチンの森事件」から70年を迎え、追悼集会が7日、ロシア西部スモレンスク郊外で行われた。集会には、プーチン露首相ポーランドのトゥスク首相が初めてそろって出席、慰霊碑の前でひざまずき、緊張が続いた両国関係の歴史的和解に一歩をしるした。


 式典でプーチン首相は、「全体主義による残虐行為は明白で、決して正当化出来ない」と述べ、事件に対するソ連の責任を認めた。

 ソ連は戦後、事件をナチスの犯行と主張してきたが1990年にゴルバチョフ大統領がソ連の関与を認め謝罪した。ただ、ポーランド議会が2005年、事件をジェノサイド(集団殺害)と認めるよう要求したことなどで、ロシア側に再び反発が生じていた。

 プーチン首相は、昨年のポーランド訪問で事件を「犯罪」と呼び、許しを求めた。北大西洋条約機構NATO)東方拡大による東欧での影響力低下への危機感が背景にあったとみられる。

この謝罪から、わずか三日でこの大惨事ですからねぇ。どうしたって、キナ臭いものを感じないではいられません。事故解明委員会のトップはプーチン、ってのもぞくぞくするような人選です。プーチンをひざまずかせたことの代償はあまりに大きかった…という妄想が止まりません。