虚無への供物
三沢光晴逝去のニュースに触れて以来というもの、精神に重りをつけられたようになって気持ちがまったく前に進まず、思考も停滞しています。
プロレスラーの死亡やそれに準じる重大事故は、以前にもありました。
- 1990年6月12日:新日本プロレスの福岡大会において、後藤達俊のバックドロップを受け損なった馳浩が、試合後にシャワーを浴び、次の試合でセコンドにつこうと花道を歩いている途中に昏倒。一時は心肺停止に陥るも奇跡的に回復した。
- 1997年8月15日:JWP女子プロレス広島大会において、尾崎魔弓のライガーボムを受けたプラム麻里子が意識不明に陥り、開頭手術を受けるも硬膜下血腫と脳挫傷により翌日に死亡した。日本プロレス史上初の死亡事故とされる。
- 1999年3月31日:アルシオン女子プロレス福岡大会において、デビュー間もない新人の門恵美子が、吉田万里子に腕ひしぎ逆十字を仕掛けて潰された際に、後頭部を強打して昏倒。意識が戻らないまま4月9日に死亡した。
- 2000年4月14日:新日本プロレス気仙沼大会において柴田勝頼と対戦した福田雅一が、柴田のダイビングエルボーを受けて意識を失い、4月19日に硬膜下血腫で死亡した。福田はその前年にも硬膜下血腫のため4ヶ月の欠場をしており、復帰して間もなくの事故であった。
また、1989年にはUWFの道場で、1995年には新日本プロレスの道場において、新弟子が練習中に死亡する事故が発生しています。2003年にはジャイアント落合がWJプロレスの道場で練習中に倒れて死亡し、2008年にはインディ団体のレスラーがダブルインパクトを受ける練習で死亡する事故が発生しています。死亡に至らなかった事故は枚挙にいとまが無く、「鬼嫁」のキャラクターですっかり主婦タレントとして人気者になった北斗晶も、現役レスラー時代には頚椎骨折で長期の欠場を余儀なくされた経験があります。
- 作者: 北斗晶
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アメリカでは、キラー・バディ・オースチンがパイルドライバーで二人の若手を死亡させたのが有名です。
バディ・キラー・オースチンのドリル・ア・ホール・パイルドライバー
しかし、今回の三沢の死亡事故はどの例よりも深刻だと考えられます。
これまでに亡くなったレスラーは、女子だったり新人だったり病み上がりだったりしますが、三沢は全日本プロレス時代から受け身の名手として知られた人で、ジャンボ鶴田も三沢に対しては誰よりも危険な角度でバックドロップを仕掛けていたし、全日で確立した「四天王プロレス」では、危険な大技を限界まで連発するタフな試合スタイルでプロレス業界をリードしていたものでした。
その、業界トップの技術で知られた三沢が、バックドロップという古典的な技によって死亡したというのは、われわれが熱狂したプロレスそのものが構造的に欠陥を抱えていることの露呈に他ならないと言えるでしょう。
もっと凄い試合が観たい、もっとハードな受け身でオレたちを魅了してほしい、というオレたちの単純で残酷な願いの結果、その願いに誰よりも応えてくれた三沢は全身ガタガタになり、あげくにバックドロップの受け身すら取れなくなって死んだのでした。
プロレスファンでない人にとっても、有名レスラー三沢の死はショッキングかもしれません。でも、心の一部がプロレスで出来ている人間が感じているのはまるで異質のショックなのです。
三沢を殺したのはオレなのだ。
少なくともぼくは、そう思わないではおれないのです。ダメだ、もう二度とプロレスなんて観られない気がする。