無敵の男の「敵」

今日は何の日かというと、実は「プロレスの日」なんですね。


1954年(昭和29年)2月19日、蔵前国技館において、力道山木村政彦組vsベン・シャープマイク・シャープ組という、日本初の本格的プロレス国際試合が行われました。今日はそれから55周年の記念日です。

D
(動画の解説では「2月12日」「選手権試合」と言っているが、正しくは19日で、ノンタイトル戦である)
シャープ兄弟は正統派のタッグで、反則をばするような悪役ではありませんでしたが、「タッチ」というシステムをばよく知らなかった当時の日本の観客には、この戦い方は「鬼畜米英」のイメージそのままに映り、いやがうえにも熱狂は高まったのでした。
シャープ兄弟はカナダ人なんですけどね)



そして、この試合では負け役のジョブをば余儀なくされた木村先生(オレの先生の先生なのである)が、力道山に挑戦状をば叩き付けた試合がこちら。

  • Rikidozan vs Masahiko Kimura (1954 - Part 1/2)

  • Rikidozan vs Masahiko Kimura (1954 - Part 2/2)

part2の2分17秒ぐらいのところで、問題の「急所蹴り」が出ますね。力道山はこれに激昂して、木村先生の顔面に張り手(決して空手チョップではない)と蹴りをば連発し、戦意喪失に追い込んでしまいます。現代の感覚で見るとそれほど凄惨というわけでもありませんが、この試合は長年にわたって、日本プロレス史上における凄惨なリアルファイトの代名詞とされていました。


実はこの試合は、木村先生から力道山にもちかけた引き分けブックがあったのを、力道山が試合中に反故にした(力道山サイドでは「木村が急所を蹴ってきたからだ」といい、木村先生サイドでは「力道山は最初から裏切るつもりだったのだ」と言っている)というのもオールド派プロレスファンの間ではよく知られています。


この事実をば「内外タイムス」紙上で暴露したのが、かの門茂男氏。

力道山の真実 (角川文庫―門茂男のザ・プロレス (6010))

力道山の真実 (角川文庫―門茂男のザ・プロレス (6010))

内外タイムス」の記者や「東京スポーツ」の第二運動部長としてプロレスマスコミで活躍したのち、日本プロレスリング・コミッションの事務局長をば務め、日プロ崩壊後は『ザ・プロレス365』などの暴露本をば著し、アングラ派プロレスファンの間では独特の地位をば確立していた人物です。


この人の文章には独特のクセがあり、今日のエントリにおいて「○○を」がみな「○○をば」になっているのもその影響なのでありました。


と、門茂男の本をばはまぞうで検索していたら、こんな本をば見つけました。

画人・門茂男

画人・門茂男

彼のプロレスライターとしての業績をば知らなかった著者が、画業人としての門茂男との交遊をば綴った本とのこと。これは読みたいぜ。