路傍のハムレット

福田和代の新作『ZONE』を読みました。

ZONE 豊洲署刑事・岩倉梓

ZONE 豊洲署刑事・岩倉梓

福田和代といえば、ハイジャックやテロリストやハイテク犯罪を描いてきた印象がありますが、今回はうって変って地に足の着いた女性刑事ものです。


刑事小説では舞台となる街が重要な要素になりますが、『ZONE』では、再開発の進んでいる江東区豊洲が舞台になっています。
主人公の岩倉梓は、新たに生まれつつあるこの街に新設された豊洲署(架空の署。実際の豊洲は深川警察署管内)に異動してきた34歳の女性刑事。学生時代には柔道で全国3位に入った猛者ですが、現在は穏やかな人物として描かれています。


女性刑事を主人公にする場合、強烈な個性や過去を持ったキャラクターを設定することが少なくありません。誉田哲也の生み出した姫川玲子しかり、大沢在昌による神崎アスカしかり、深町秋生の八神瑛子しかり。

ストロベリーナイト (光文社文庫)

ストロベリーナイト (光文社文庫)

天使の牙(上) (角川文庫)

天使の牙(上) (角川文庫)

アウトクラッシュ 組織犯罪対策課 八神瑛子? (幻冬舎文庫)

アウトクラッシュ 組織犯罪対策課 八神瑛子? (幻冬舎文庫)

これらのタフな主人公たちと違って、梓はごく普通の女性です。トラウマ経験もなければ離婚経験もありません。30代半ばの女性にしてはいささか男の影がなさすぎるのでは、と感じるほど淡白な人物です。飛びぬけて有能なわけでもなく、コンビを組む後輩の男性刑事に出世で追い越される可能性を見越して、彼にも敬語で接しているあたりは組織人の悲哀を感じさせます。


というか、殺人事件や組織犯罪を描く先行作品群と比べることが間違いです。梓が所属しているのは刑事課じゃなくて生活安全課です。


生活安全課といえば、近年はストーカーの被害届を突き返して殺人事件に発展させる部署として知られていますが、『ZONE』ではそんな生活安全課に脚光を浴びせています。
本作は全5話のエピソードからなっていて、扱われる事件は児童ネグレクト、老人の孤独死、幼稚園へのいやがらせなど。作中では「殺人と窃盗と交通事故以外は何でも扱う」といわれています。


女性からのストーカー被害届をちゃんと受理する話もあり、被害者を門前払いするだけが生活安全課の仕事ではないのだな、と思わされました。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)


個人的にいちばん気に入ったのは第5話「路傍のハムレット」でした。ちょうど東日本大震災の直後で、被災者を装った男が寸借詐欺、振り込め詐欺に手を染めていく物語。実際に東雲にある公務員宿舎が避難者を受け入れていたことをもとにしていて、阪神大震災で被災した経験を持つ梓が、被災者を装った卑劣な男に怒りを覚えるあたりも共感できます。



舞台を豊洲に選んだことについては、速水健朗さんが「ランティエ」誌上で書いた記事が参考になります。こちらでPDFが読めます。


http://www.fukudakazuyo.com/ranteie09.P2-31_low.pdf


本作でもうひとつの魅力となるのが、小林系によるイラストです。

小林系作品集 notebook

小林系作品集 notebook

端正な筆致で描かれた人物や風景は透明感があり、善意に満ちた作品のテイストによく合っています。


タフな女性刑事が悪人をやっつける作品もいいですが、ごく普通の女性が人々と触れ合う、こんな作品もいいですよ。