実録・帝国陸軍

また、お会いしましたね。


今夜は『キャタピラー』。キャタピラーってなんでしょね。和服の下着? それはかたびらですね。キャタピラーいうのは芋虫のことなんですね。


映画監督 若松孝二 公式サイト
この映画『キャタピラー』は、太平洋戦争の中国戦線で四肢と聴覚、声を失う重傷を負った元兵士の夫と、彼を献身的に介護する妻(寺島しのぶ)のお話なんですね。何とも知れん、怖い怖い映画ですね。監督は、ベテランの若松孝二なんです。若松孝二いう監督は、反戦とか反体制の作品が専門なんですね。映画ファンの方は、若松監督の映画と聞いただけで、あっ、そういう映画か、と、だいたい内容の想像がつくかもしれませんね。


四肢を失った「軍神」と妻の物語、というと江戸川乱歩さんの『芋虫』いう小説がありましたね。

キャタピラー』も、最初はこの『芋虫』が原作のはずだったんですが、いろいろ事情があったみたいで、出来上がった映画のクレジットを見ると、江戸川乱歩のエの字もありませんでしたね。平井隆太郎先生には申し訳ないですね。


でも実は、『芋虫』は反戦小説でもなんでもなくて、単に「性的機能以外のほとんどを失った夫との性行為」に溺れてゆく妻の物語だったんですね。戦争に行くのは、四肢切断いう状況を設定するための方便にすぎなかったんですね。



※以下ネタバレですね
















乱歩さんの原作では、妻は肉塊のような夫との性行為、そして虐待に異常な快感を覚え、そして、夫を完全な性の玩具にするために、唯一のこっていた人間的な機能である目を潰してしまうんですね。ですけどね、夫は妻の仕打ちを「ユルス」と書き残して、井戸に身を投げて死んでしまうんですね。これはあくまで二人の小さな世界のお話であって、戦争のことはほとんど関係ないですね。


ところが、映画のほうはだいぶ違うんですね。


寺島しのぶは、芋虫のようになった夫の求めに応じてセックスはするんですが、これがちっとも気持ちよくなさそうで、明らかにいやいやしているんですね。昭和天皇ご夫妻のご真影と勲章の前で、下半身だけ脱いで夫にまたがる場面は背徳的ではありますが、官能的とは言いがたかったですね。
途中で妻が自分から求める場面もありましたが、そのときは、夫は中国で女性を強姦・殺害した罪の記憶にさいなまれていて、不能になってしまうんですね。寺島しのぶは怒って「どうしてなのーっ!」と夫の胸板を殴るんですね。ここだけ小池一夫が脚本を書いたのかと思いましたね。


こういう、戦争に対する加害者意識は、乱歩さんの原作にはなかったもので、若松監督の思想がストレートに出ているんですね。そういうこともあって、クレジットから乱歩さんの名前が外されたのかもしれませんね。


原作は昭和4年のお話で、日中戦争もまだ始まっていませんでしたが、映画は昭和19年〜20年のお話に変わっているんですね。なので戦況はどんどん悪化してゆき、東京大空襲や原爆投下のニュース映像も挿入されるんですね。この辺のやり方は、前作『実録・連合赤軍』でも見せたおなじみの手法ですね。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

そういえば、『キャタピラー』で四肢を失う夫を演じた大西信満は、『赤目四十八瀧心中未遂』でも寺島しのぶと濡れ場を演じていますが、『実録・連合赤軍』では坂東國男を演じていて、『キャタピラー』の冒頭で彼を家まで連れ帰る軍人はARATAと地曳豪、つまり坂口弘森恒夫なんですね。
歌集 常しへの道

歌集 常しへの道

連合赤軍兵士を演じていた三人が今度は帝国軍人、しかもいまだ逃亡中の坂東國男を演じた俳優が次は「軍神」を演じる、というのは若松監督ならではの反権力思想の現われやと思いますね。


そして、原作の夫があくまで夫婦ふたりだけの世界で死を選ぶのに対し、映画の方では、終戦を伝える玉音放送BC級戦犯の処刑映像が挿入され、それを知った夫はため池に身を投げて死んでしまうんですね。これはつまり、自らの戦争犯罪を断罪したことに他ならないんですね。


敗戦によって、「軍神」だった夫は単なる傷痍軍人になってしまうわけですね。そういう価値観の変化がどう描かれるかと思いましたが、こういう決着をつけるというのは、さすがにこの監督は一通りや二通りやない、見事な政治的感覚を持っていますね。


この映画を観ておりますと、とくに大西信満がごろんごろん転げまわる場面を観ておりましたら、1917年(いっせんきゅうひゃくじゅうしちねん)に『人間タンク』いう、怖い怖い連続活劇映画ありましたね、それ思い出しますね。


では、またお会いしましょうね。