カレー戦争

はてなというところは、比較的リベラルな論調が強い傾向がありますが、匿名ダイアリーはそうとばかりも言えないようで、こんなエントリが話題に。


http://anond.hatelabo.jp/20091002021511

中途半端な自称リベラル派の主張

  • どうして自称リベラルな人達は、中途半端なことばかり主張するのだろう。外国人参政権とか、夫婦別姓とか。
  • 「国籍」に固有の機能は、「国政への参画」以外にあり得ないし、「苗字」に固有の機能は、「所属する家族の表示」以外にあり得ない。
  • 外国人参政権を主張するくらいなら、国籍の廃止を主張すべきだし、夫婦別姓を主張するくらいなら、苗字の廃止を主張すべきだ。
  • 逆に、そこまで主張する覚悟や気概がないなら、おとなしく現状を受け入れるべきだ。
  • カレーのないカレーライスや、冷たくないアイスクリームを要求するようなことをして、言葉の用法を混乱させるのは、いい加減やめにしてもらいたいものだ。

なんでしょうね。理想論を語るリベラルを「お花畑」と揶揄して、「現実的な落としどころを見つけるのが政治ってもんだ」とお説教するのがネットウヨクの定番だと思ってたんですが、いざリベラルの主張が通りそうになったらコレですか。「もっとお花畑な主張をしてくれないと僕珍が困るんでつ(:Д;)」とでも言いたいんですかね。


でもこれ、元増田の意図はともかく、実はなにげに示唆を含んだ内容になっています。


「カレーのないカレーライス」といいますが、まず第一にカレーとはなにか?

美味しんぼ (24) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (24) (ビッグコミックス)

美味しんぼ』で「究極vs至高」のカレー対決をしたエピソードは、山岡の知人が営むカレー店を海原雄山が訪れ、「これは本物のカレーか?」といかにもメンドくさそうな質問を投げつけるところからはじまります。


店主が「はい。混じりッ気なしの本物のカレーです」とにこやかに答えると、雄山は言葉尻を捉えるように食い下がり、「この店のカレーが本物と言ったからには答えてもらおう。まず第一にカレーとは何か?」と、禅問答のようなことを言い出します。


でもこれは「愛です」とか「真心です」とかいう精神論ではなく、カレーの定義を問うもの。カレーがカレーであるために必要な具やスパイスは何なのか、という質問なのですが、矢継ぎ早に「インドにはカレー粉はない」「インドではチャパティやナンと食べることが多い」と繰り出してくる雄山に店主は答えられず(そもそも屁理屈で海原雄山に勝てる人間は存在しない)、ショックを受けた店主は店を閉めてしまい、山岡とインドへカレー研究の旅に行くのでした。


今でこそ、「インドにカレー粉は存在しない」というのは常識になっていますが、『美味しんぼ』が広めた知識はけっこうあるんですよね。「イノシン酸グルタミン酸を組み合わせると旨味が深くなる」「小籠包は熱い汁が飛び出すのが本物」「四国出身のおっさんに四万十川の鮎を食わせると泣く」などはよく知られているところです。中にはかなり怪しいものもありますが、まぁ新聞社の副部長が酔って編集局長や社主に狼藉をはたらいてもクビにならないような漫画を、鵜呑みにしてはいかんと思うです。


カレーをカレーにしているものは何か、という問いは実に難しく、作中でも「明確な定義はない」という結論に落ち着いています。
JAS規格にカレーとシチューの違いが規定されているわけでもありませんしね。


山岡は「ターメリックとクミンとコショウと唐辛子は欠かしたくない」と言っていましたが、タイ風のグリーンカレーなどにはターメリックもクミンも入らないし、とろみが鍵かと思いきや最近はスープカレーというものもあるし、まことに微妙な問題です。夫婦別姓外国人参政権も、これに劣らず複雑で微妙な問題ですので、元増田のような粗雑な態度で割り切れるものではとてもない、ということは、別にカレー屋を閉めなくとも理解できると思います。


んで、夫婦別姓というのも『美味しんぼ』に出てくる話です。


山岡と栗田は結婚してからも同じ部署にいるので、同じ部署に同姓の二人がいるのは不便だ(富井副部長が例によって勘違いをする)ということで社内では旧姓を名乗りたい、と願い出るのですが小泉編集局長にけんもほろろに却下されてしまいます。

美味しんぼ (48) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (48) (ビッグコミックス)

小泉局長に夫婦別姓を認めさせるため、山岡は局長をすき焼き店に招き、一計を案じるのですがその辺のセコイ計略はいつも通りの強引さです。なんでも食い物で解決する世界観って歪んでていいなぁ。


というかそもそも、山岡士郎が「山岡」という母方の姓を名乗っていることに法的根拠はないんですよね。


山岡は、大学生のころに母が亡くなりますが、病弱だった母を酷使して死なせた、と、父である海原雄山と絶縁して家を出ます。それ以来、母方の姓を名乗っている山岡ですが、母は亡くなっていて雄山と離婚したわけではなく、山岡家の縁者と養子縁組した形跡も見られないため、おそらくこれは”通称”として勝手に名乗っているだけなのでしょう。


(雄山が妻と入籍していなかったならば可能かもしれないが、作中での扱いを見るかぎり、それは考えにくい)


なので、山岡夫妻および三人の子どもは、戸籍上の本名は「海原」なのではないかという推測が成り立つのです。


結婚したときに栗田家に婿入りしておけば、それほど世間体も悪くない形で、名実ともに海原家と縁が切れてたと思うんだけどなぁ。



ちなみに、姉妹漫才師の海原やすよ・ともこは、本名は梅本(旧姓。現在は二人とも結婚して姓が変わっている)ですが、師匠は中田ボタンであるため芸能界の慣例からいえば芸名は中田やすよ・ともこになるはずだったのが、師匠のはからいで、父方の祖母である海原お浜・小浜の小浜にあやかった「海原」の芸名を名乗ることになったのでした。なので海原はるか・かなた海原千里・万里(千里は現在の上沼恵美子)ら海原一門とは直接的な関係はないのでありました。

涙の重さ

涙の重さ

この人たちも、実家のおばあちゃんやはるか・かなたと仲違いしたら、師匠の「中田」にでも改名するんでしょうかね。