悪役レスラーは笑う・いちごジャム殺人事件(中)

時は1962年4月27日、神戸市の王子体育館における日本プロレス神戸大会で、力道山豊登グレート東郷組vsルー・テーズマイク・シャープフレッド・ブラッシー組の6人タッグが闘われました。


その数日前に行われた力道山vsブラッシー戦は、ブラッシーの噛み付きによって力道山が流血する凄惨な試合内容のため、テレビ中継を見ていた6人の老人がショック死するという事件を起こしています。このため力道山は、外人組の世話役である東郷と、ブラッシーに「流血戦は控えるように」と注意していました。


しかし試合が始まるや、テーズは悪鬼のごときラフ・ファイトで東郷に猛攻を加えます。

鉄人ルー・テーズ自伝 (講談社+α文庫)

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ブッカーとして、力道山から外人組にペイメントされるギャラを大幅にピンハネしていると噂しきりの東郷が、レスリングの実力もないくせに反則ファイトでかかってくるのに、テーズたちは本気で立腹していたのですね。基本のテクニックがなってないレスラーのラフ・ファイトと比べ、セメントの実力あるテーズが相手に与えるダメージは雲泥の差。あっというまに東郷は血だるまとなりました。


三本勝負の一本目、東郷はブラッシーとテーズの二人がかりで袋叩きとなり、パートナーの豊登が吐き気を催したほどのおびただしい流血で、日本人組に反則勝ちのポイントをもたらします。


力道山は、注意していたにもかかわらず大流血し、血みどろの顔で得意気な笑みを浮かべる東郷を苦々しく見ていましたが、そこにセコンドのユセフ・トルコがやってきます。

プロレスへの遺言状

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そのままにしていたら傷口にばい菌が入る、と、トルコは持ってきた手ぬぐいで東郷の頭に鉢巻をしました。


二本目が開始され、いきりたつ東郷を制止して豊登が登場しますが、テクニックに乏しく力だけの豊登を外人組はタッチに次ぐタッチで翻弄し、豊登はすぐにグロッキーになってしまいます。
息も絶え絶えの豊登を救出せんと、リングに飛び出したのは力道山ならぬ手負いの東郷。ブラッシーにまず頭突きの一発、マイク・シャープにも頭突きの一発。この一発は、マイクの受けるタイミングが狂って鼻柱に炸裂し、鼻血を噴出させたマイク・シャープはリングをのた打ち回って苦悶します。


勢いづいた東郷は、コーナーに待機していたルー・テーズにも頭突きをかましました。


この一撃にテーズは激怒し、お返しとばかりに東郷の頭に強烈なヘッド・バットをば連発、東郷の白い鉢巻は見る見るうちに真紅に染まります。


東郷がリングにどうと倒れたとき、その衝撃で、鉢巻から直径1.5センチほどの赤くどろどろした肉塊のようなものが飛び出し、リングサイド最前列で観戦していた60代後半とみられる男性の頬にぴたりと張り付きます。この老人は「ひえっ」と悲鳴をあげてその場に失神してしまいました。東郷の額から飛んできたこの塊を、東郷の額の肉がちぎれて飛んできたものと思い込んだ観客は、「東郷のやつ、自分の額の肉がもげても平気で闘ってやがる。すげえもんだ」と思いましたが、老人が起き上がらないため周囲の観客は心配になります。


それから10分ほど後、到着した救急車で老人は運ばれていきましたが、けっきょく心臓マヒで帰らぬ人となった、との兵庫県警からの電話をば力道山が受けたのは、この日の夜のことでした。


しかし、その内容は力道山にとって意外なものでした。

本当の肉の塊ならいざ知らず、天下の力道山が総大将の日本プロレスともあろうものが、なんであんなイタズラをさせるんだ。死んだ本人は自分の頬ぺたに飛んで来てくっついたその塊が東郷のヒタイの肉片と思い込んで、恐怖のあまり心臓がキューッと締まり、失神のあげく、そのままあの世へ、……折角、力道山のプロレスが真剣勝負と思い込んで行ったプロレス好きの遺族の人たちに、あれは東郷の肉塊じゃあなく、ジャムだったとは言えんだろう…

力道山は、「東郷のやつ、あれほど無用の流血戦はひかえるよう頼んでおいたのにあの派手な暴れ方だもんな」「それにしても、兵庫県警のおっさんも変なところで折角なんて言葉を使いやがって」と混乱しながら、東郷の鉢巻にジャムを仕込んだ犯人をユセフ・トルコと確信して激怒、若手レスラーたちに「すぐトルコをここへ呼べ!」と叫んだのでした。


<明日へ続く>