愛なら仕方ないな

沖縄ノート (岩波新書)

沖縄ノート (岩波新書)

大江健三郎の著書『沖縄ノート』で、太平洋戦争末期の沖縄戦において軍が住民に自決を強制した、という記述をめぐって元戦隊長が著者と版元の岩波書店名誉毀損で訴えていた裁判の控訴審で、大阪高裁は原告敗訴の一審判決を支持し、控訴を棄却しました。


http://www.asahi.com/national/update/1031/OSK200810310076.html

太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたと書いたノーベル賞作家、大江健三郎さん(73)の著書「沖縄ノート」(70年、岩波新書)をめぐる名誉棄損訴訟の控訴審で、大阪高裁は31日、原告の元戦隊長側が敗訴した3月の一審・大阪地裁判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。小田耕治裁判長は一審と同じく、大江さんが執筆当時、軍の命令を真実と信じたことには合理的な根拠があったと認めた。元戦隊長側は上告する方針。

1945年3月の沖縄戦では座間味島で130人以上、渡嘉敷島で300人以上の住民が集団自決したとされる。「沖縄ノート」は集団自決生存者の証言集を引用して座間味、渡嘉敷両島で「自決せよ」との軍命令があったと記し、元戦隊長ら2人について「この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」と記述。大阪府に住む元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さん(91)と元渡嘉敷島戦隊長で元大尉の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)が名誉を傷つけられたとして05年に提訴した。同書などの出版差し止めと慰謝料3千万円(控訴審で増額)を求めた。

元戦隊長側は「梅沢さんは村の助役らに『決して自決するでない』と命じた」と主張していたが、判決は「到底採用できない」と退けた。控訴審に提出された、当時15歳だった座間味島の住民がこの様子を目撃したとする新証言については「明らかに虚言」と判断した。


一審判決は、軍から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)が配られたという生存者の証言が多数あることなどから「元戦隊長の命令があったとは断定できないが、関与は十分推認できる」と認定。大江さんが証言や文献を踏まえて、軍の命令を真実と考えたことには理由があると判断し、元戦隊長側が控訴していた。

正直なこと言ってね、こういう訴訟を起こせば起こすほど、旧軍人の名誉が傷ついていくような気がするんですけどねぼくは。



んで。


集団死の舞台となった渡嘉敷島には慰霊碑があり、曽野綾子によるこんな文章が刻まれているそうです。

豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、恩納河原ほか数カ所に集結したが、翌27日敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった。

すごいなぁ、これ。愛ゆえに家族を殺す、ってのは追い詰められた人にまま見られることではありますが、それを真正面から書かれるとなんだかウッとなってしまいます。


生き残った人の証言はさらに過酷で生々しく。

http://www.news.janjan.jp/living/0704/0704143743/1.php

金城重明さんの証言

天皇陛下万歳三唱が唱えられた。住民と防衛隊がそれぞれ持っている手榴弾を出した。何個あったかわからない。1個の手榴弾のまわりに家族と親戚が輪になった。二重三重に輪になって、これ1発で死のうねと言った。同時に死ぬ。混乱の中で鏡を見ながら髪をとかしている女性がいた。死ぬ直前にも女性はきれいにして死ぬと思った。手榴弾の栓を抜いて叩いて発火し、爆発して自決を遂げる。あっちでもこっちでも爆発音が聞こえた。子どもの泣き声も聞こえたが、手榴弾による死はきわめて少なかった。その後は混乱状態。パニックになった。命令もくそもない。


死ぬという思いはあったが、どんなにして死ぬのかわからなかった。死の手法がわからない。大人の様子を見ていた。50歳ぐらいの男性が小さな木をへし折っていた。これでこのおじさんなにをするんだろう。凝視していた。木片が彼の手に握られるや否や、自分の妻子をめった打ちに殺した。衝撃的なこの世の生き地獄を目撃した。自分たちもあんなにして死ぬんだなと。役割を演じたのは父親。自分の妻と子を殺す。武器は持っていない。渡嘉敷ではありとあらゆるものが凶器だった


私の父親は夜道を歩いているときはぐれて一緒にいない。2つ上の兄と、相談もしないで、なにしようという内容の会話もせず、一言も交わさないまま母の命を絶つ行動に移った。衝撃でした。一部始終覚えていません。ヒモを使ったかもしれません。ただ1つだけ強烈に覚えているのは、確実に頭部を叩けば死ぬという大きさの石で頭を叩くということをやった。母も泣いていたし、我々も衝撃的なことをやったことで、私は号泣した。ちょうど16歳と1ヶ月。そして、何分後かに母は息を引き取った。


これはこの世の地獄としか言えない。あとは弟と妹に手をかけました。ちょうど小学校4年生に上がる妹と、4月から小学校に上がる弟。ですけどね、私、50年、60年経ってもどういうふうにして幼い弟と妹を死に至らしめたか、まったく記憶にない。恐ろしい母親の殺害。大きな悲劇の中に幼い者たちが包み込まれていた。どう殺したかわかっていない。


父も死んだ。329名の住民が死んだ。下を流れる川が血の色に染まった。遺体が重ねあわされた。集団死は大人たちはわれ先に死ぬということはなかった。先に幼い子どもや老人を殺してから自分は最後に死ぬ。死ぬ手法を見せてくれた区長さんは、妻子を殺したあと自分の首を木の枝にヒモをかけて死のうとしたが、どうしても死ねないとウロウロしていたことを強烈に覚えている。

原告の言い分が事実であれば、軍の命令もなく、それどころか戦隊長が止めたにもかかわらずこのような地獄絵図が繰り広げられたというのだから、そっちの方がよほど狂気の沙汰だと思うんですが、原告を支持する人たちはその辺をどう思ってるんですかね。国民が狂ってたから軍が迷惑した、とかそういう認識なんでしょうか。



それにしても、これほど凄惨な集団無理心中を「そこにあるのは愛であった」とまとめるって、まるで『撲殺天使ドクロちゃん』の主題歌みたいにグロテスクな発想ですね。

D



打って叩いて爆破して
絞めて殺して縊れて


でもそれって僕の愛なの



と、いうわけで(何がだ)。



2006年5月6日と2007年4月30日に放送され、2chのサーバーをダウンさせるほどの盛り上がりとなったNHK-FM今日は一日アニソン三昧」が、今年は大晦日(紅白の裏!)に放送されることになったそうです。


http://www.nhk.or.jp/zanmai/next-theme.html


これが最後の放送になる予定で、

今回は最終回にふさわしく、劇場版もOVAもキャラソンもOK!何でもあり!

とのことです。『ドクロちゃん』もリクしてみようかしら。ってこれ公共の電波で流せるんだろか。