リッチー・ブラックモアオタが非オタの彼女にリッチー世界を軽く紹介するための10曲
まあ、どのくらいの数のリッチーオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「リッチーオタではまったくないんだが、しかし自分のリッチー趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないリッチー・ブラックモアの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、メタラーの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、リッチー・ブラックモアのことを紹介するために
聞かせるべき10曲を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にレインボーを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うロングヴァージョン、インプロ全開のライヴは避けたい。
できればエディットヴァージョン、長くても6分にとどめたい。
あと、いくらリッチー的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
リッチー好きがスクリーミング・ロード・サッチは外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
パープル知識はいわゆる王様的なものを除けば、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。
ハイウェイ・スター(「マシン・ヘッド」収録)
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハイウェイスター以前」を濃縮しきっていて、「ハイウェイスター以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも6分だし。
ただ、ここで速弾き全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な楽曲について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
ブラック・ナイト(シングル)、ウーマン・フロム・トーキョー(「紫の肖像」収録)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな楽曲(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「リッチーオタとしてはこの二つは“楽曲”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
スペース・トラッキン(「マシン・ヘッド」収録)
ある種のメタルオタが持ってる宇宙への憧憬と、ジョン・ロード監修のオタ的なスペーシーサウンドへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもパープル的な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するギター壊し
「童貞的に好みな破壊」を体現するアンプ爆破
の二つをはじめとして、ライヴ映えのするネタを楽曲にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
スターゲイザー(「虹を駆ける覇者」収録)
たぶんこれを聞いた彼女は「スピッツだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の楽曲がその後続いていないこと、これがコージー・パウエルオタ界隈では大人気になったこと、
アメリカならシングルカットになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非メタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
オールナイト・ロング(「ダウン・トゥ・アース」収録)
「やっぱりロックは長髪のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ロスト・イン・ハリウッド」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この楽曲を歌うグラハム・ボネットの髪型が好きだから。
リッチーの怒りで殴られてそれでもリーゼント、っていう髪の長さが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「抜ける」ということへの諦めきれなさがいかにもリッチー的だなあと思えてしまうから。
リッチーの髪の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう切れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
イアン・ペイスやジョー・リン・ターナーだったらきっちりヅラにしてしまうだろうとも思う。
なのに、グラハムの頭を殴って迷惑かけてリーゼントをやめさせようとしまう、というあたり、どうしても
「自分のヘアスタイルを形作ってきたものが捨てられないオタ」としては、たとえグラハム・ボネットがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。楽曲自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
ハッシュ(「ハッシュ」収録)
今の若年層で第一期ディープ・パープル見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
「イン・ロック」よりも前の段階で、リッチーの哲学とか演奏技法とかはこの楽曲で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの楽曲がラジオ放送でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくリッチー好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるストラトに持ち替えて以後でしかリッチーを知らない彼女には聞かせてあげたいなと思う。
キル・ザ・キング(「レインボー・オン・ステージ」収録)
リッチーの「指」あるいは「音づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから聞かせる、ということではなくて。
「終わらないライヴを毎日生きる」的な感覚がリッチーオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ「レインボー・オン・ステージ」開幕曲は「キル・ザ・キング」以外ではあり得なかったとも思う。
「ツーバス化したドラムを叩く」というコージー・パウエルの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「コージーの気分」の
源は「キル・ザ・キング」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
タイム・トゥ・キル(「紫の聖戦」収録)
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジョー・リン・ターナー風味の楽曲をこういうかたちでイアン・ギラン化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。