ザ・ゴールデン・カップス/ワンモアタイム

それにしても、小島貞二の『力道山以前の力道山たち』が面白すぎる。


万延元年(1860年)に横浜港が開港され、外人たちの姿がよく見られるようになりました。

すると、巨躯を誇る外人を日本の力士が投げ飛ばす錦絵が、いくつも出回ります。


これは、横浜に巡業にやってきた大相撲に、遊び半分で”親善試合”を挑んだ外人の見物客がいたのを、錦絵の版元が見ていて、事実とはおよそかけ離れた仰々しいものに脚色していたのですが、当時の日本人にも格闘ナショナリズムのようなものがあったことを示す見本になるでしょう。


しかし、格闘ナショナリズムは外人の側にもあるもので、このデタラメな報道に腹を立てた外人格闘家もいました。


文久元年(1861年)二月の大相撲横浜巡業において、レスリングやボクシングで鳴らしたイギリス人ラウダと名乗る白人が、勧進元に挑戦を申し入れてきました。


やんわりと断られますが、連日の申し入れと挑発にいきり立った力士が、彼の挑戦を受けて立ちます。


立ち上がった力士は、宮城野部屋の三段目、時津風宗吉。

向う気の強さで鳴らし、石頭には定評があったといいます。


かくして、五日間の興行の千秋楽の日に、時津風vsラウダの対決が行われました。



このとき、時津風は「外人は蹴ってくる」という仲間たちの助言を受け、椰子の表皮を半分に切ったものを金的にかぶせ、その上からまわしをしめていたそうです。


おそらくこれが、日本で最初のファールカップ着用だったと思われますね。

OH TACO/ゴールデン・カップス

OH TACO/ゴールデン・カップス

高山善廣が「ゴールデン・カップス」というユニットを組んでいたことも、覚えている人はもうあんまりいないと思いますが。



かくして、ファールカップのおかげもあって時津風はラウダの攻撃をしのぎ切り、胸元へのぶちかましで土俵から転落させ、失神KOに葬ったのでありました。


なお、この時津風と、かわいがりの時津風部屋の間に、直接の関係は確認できませんでした。