プロレスラーの生きる道

三沢光晴の死によるショックから、いつ立ち直れるのか見当も付かないでいるところへもってきて、こんなエントリを目にしまして。


プロレスラーの生きる道 - (旧姓)タケルンバ卿日記
事故の翌日、博多スターレーン大会に出場した斎藤彰俊が、三沢の遺影に向かって泣きながら土下座をしたというファン号泣のエピソードを、シルクハットの大親分が「それは違うぞ、彰俊」と意見するというもの。


帽子いわく、彰俊はヒールとして三沢を罵り、遺影を踏んづけるぐらいのパフォーマンスで観客の憎悪を煽ることが必要だとのことで、対戦相手の死をギミックに利用したレスラーの例としてオックス・ベーカーを挙げているのですが、そのプロレス観はあまりに古すぎると思います。


そもそもベーカーの対戦相手が死亡したのは試合後のことであって、実際にベーカーが死なせたわけではありません。


ある程度プロレスに詳しい人なら、ここでベーカーよりキラー・バディ・オースチンの名が思い浮かぶと思いますけどね。必殺のパイルドライバーで二人の若手レスラーを死に至らしめたオースチンは、愛娘がプールで溺死するといういたましい事故に遭い、それを「二人の呪いだ」と悩んで酒びたりの日々を送るようになりました。


晩年はアルコール依存症に苦しみ、会場に現れてはかつてのレスラー仲間から酒代をせびるという醜態が、全盛期を知る人々の哀れを誘ったといわれています。


タケルンバさんよ、あんた彰俊にアル中になって死ねとでも言うのかい。
それがプロレスの凄味だから、彰俊もそうしろとでも言うのかい。


そんなプロレス観が通用したのは、せいぜい1970年代までのことだよ。


1960年代から70年代にかけては、梶原一騎らが絵物語や漫画で、魔人・怪人が跳梁跋扈する幻想のプロレスを描いていたものです。ニューヨークの英雄だったアントニオ・ロッカがなぜか日本人柔道家をリングで殺した極悪の殺人狂に描かれていたり、キラー・コワルスキーユーコン・エリックの耳をそいだ冷酷な殺人狂として登場したりしていました。

「人間発電所ブルーノ・サンマルチノも、対戦相手を死に至らしめた過去の持ち主として描かれています(ベビーフェイスである彼の場合は、「いたましい事故を乗り越えて成長した」という扱い)。


ところが、時代が下って80年代になるともうそんなやり方は通用しなくなり、『プロレススーパースター列伝』はかつての作品よりは幾分リアリティに配慮するようになりました。『ジャイアント台風』では恐怖の的だった「アラビアの怪人」ザ・シークはコケおどしのインチキ野郎に成り下がり、コワルスキーの耳そぎも、『列伝』では純然たるアクシデントとして描かれています。


チェーンを振り回して暴れる、野獣派だったブルーザー・ブロディだって、80年代以降の日本では「インテリジェント・モンスター」と呼ばれ、哲学者然としたカリスマ性を発揮していましたしね。

プロレススーパースター列伝 (10) (講談社漫画文庫)

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彰俊が無理のあるヒールターンをやったとしても、ファンの憎悪なんて得られるはずないよ。


1995年に、山崎一夫Uインターから新日に殴りこんできてヒール的な発言を繰り返していたときも、ファンは「山ちゃん」コールで彼を暖かく迎えてたのを、忘れたのかい?

山崎一夫流自分でできる整体術

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彰俊がどんな人か、ファンはみんな知ってるんだよ。彼が三沢の遺影を蹴っ飛ばしでもしたら、ファンは憎悪どころか大号泣でその行為を見つめるに違いないよ。今のプロレスのアングルは、そこまで計算して仕掛けなきゃいけないんだよ。


オックス・ベーカーは、キャラ的には面白かったけどレスリングはヘタクソで、生肉をかじるパフォーマンスなど典型的な古くさいギミック派でした。リング外での余計なパフォーマンスや過剰なアングルを廃し、リングでの試合内容でファンにアピールし続けた三沢のプロレスが、ベーカーのそれと対極にあることがどうして理解できないんだよ、帽子のおっさんよう。



そりゃオレだって、力道山の没後二十周年記念番組で、インタビューに答えたフレッド・ブラッシーが「リキの野郎は天国になんかいない、ヤツは地獄行きだ!」と叫んだというエピソードには感動したよ。でもそれはブラッシーの世代だからそれでよかったんであって、21世紀もそれで押し通そうとしたら「カ…カテエ…まるで溶岩石のように凝り固まったタケルンバのアタマ!」って言われちゃうよ。

プロレス 下流地帯 (別冊宝島 1599 ノンフィクション)

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