またひとつ星が消えるよ

子どものころから、兄弟も友だちも全員男ばかりの社会で生きてきた。漫画やラノベの世界では、主人公には女の子の幼馴染が親しげに接してくるのがお約束なのだが、オレの幼馴染は男しかいなかった。小学校でも中学校でも、名前と顔を覚えている同級生はひとり残らず男ばかりである。


大人になってからも、基本的にオレの交友関係は男性に限られてきた。女性と接する機会はごくごく少なかった。オレの人生で、女性と接してきた時間はおそらく、一般的な日本人男性が生涯のうちにタスマニアデビルと接する時間の累計に等しいであろう。

コレクタ 88656 タスマニアデビル Tasmanian Devil

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そんなオレだが、ここ最近は小説講座などに関わっているため、女性と接する機会が多くなっている。とくに、せんだい文学塾はスタッフも受講生も女性の比率が高く、そのうえ、アドバイザーの先生が講師をやっている女子大の学生も受講にくるので、オレにとってはペロリンガ星人より遠い存在だった「女子大生」なんぞという生き物と交流する事態も発生しているのである。

X-PLUS 大怪獣シリーズ「ペロリンガ星人」

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人生というのはまことに何が勃発するかわからんものだが、不測の事態が発生すると、自分の中にも思ってもみない変化が起こるものである。


いつもはブロークンなワードでダーティなトーキングに明け暮れているオレなのだが、自分より著しく年下の女性と話していると、言葉遣いがだんだん変わってくる。同年代や年上の女性が相手だと、多少ていねいな話し方になる程度ですむのだが、相手が年下だと、話し方がだんだんオネエ言葉に近づいてくるんである。

「おネエことば」論

「おネエことば」論



オレみたいな野郎でも、横柄な人間だと思われたくない、という程度の見栄はあるんである。一種のダンディズムといってもいいかもしれない。おじさんというのはただ息をしていてさえ横暴さを放つ生き物だ。とくにか弱い女性と接する場合は、相手との間に強い権力勾配があることを意識していないと、どれだけ悪い印象を与えるかわかったものではない。せめて「優しそうなおじさん」という印象を持ってほしい、というのはダンディズムというより一種の助平心なのかもしれないが、しかしオレの中に存在する正直な気持ちである。


そんな意識を持ってしゃべっていると、まず語尾が変わる。「○○だろ」とか「○○じゃねえの」といった、ふだんの野郎言葉は影をひそめ、「○○だね」「○○じゃないかな」という言い方になる。そしてその段階を経て、「○○ね」「○○じゃないかしら」という言い方に辿り着くんである。
ソフトな印象は与えられるかもしれないが、果たしてこれでいいのだろうかという疑問がないわけでもない。


とはいうものの、以前、何かの本で読んだのだが、かの金田一京助先生は、言葉遣いがあまりにていねいなため、ご子息の春彦先生を叱るときも「あなたね、そんなことじゃダメなのよ」といった言い方になり、春彦先生が笑うのでますます怒り「ワタシはみんなから尊敬されてるのよ!」などと言ってよけいに笑われていたそうだ。

(たぶんこの本ではないです)


言語学の泰斗にあやかるというのもおこがましいが、まぁ、言葉が多少ソフトになるぐらいは別にどうってこともないであろう。



とはいえ、この傾向はエスカレートしており、この前なんかは「そう、あなたはそう思うのね。でもそれは本当なのかしら。違う考え方もあるのじゃなくて? この絵をごらんなさいな。よく見えて?」などと話している自分に気づき、これじゃまるでメーテルだよと思ったもんである。

銀河鉄道999

銀河鉄道999


ま、世代ですよ世代。