キッドナッパーズ・ヘブン
結婚というのは、本人どうしのみならずお互いの家が絡んできてなにかと面倒くさいものですが(わが身のこととしてとらえたことがないので非常にふわっとした表現である)コーカサス地方にはこんな習慣があるそうです。
何百年も続く慣習「誘拐婚」って?:日経ビジネスオンライン
グルジアやキルギスには、女性を誘拐して一晩監禁すれば結婚が認められるという風習が古くからあり、それは現代でも続いているそうです。
実はこれに似た風習は日本にもあります。
昭和34年に、鹿児島県で女性を拉致・強姦して結婚を承諾させようとした男が裁判にかけられました。このとき、弁護人が「現地の風習に従ったものであり、違法性の認識がない」としたことが報道され、全国的に有名になりました。鹿児島では「おっとい嫁じょ」と呼ばれていたもので、昭和になってもそのような風習が残っていたことに驚かされます。
んで上の記事では、コーカサス地方であった実例をいくつか紹介しています。
- 誘拐され、そのまま結婚させられた女性ヘーダ
- 誘拐から奪還されたものの、貞操が穢されたとされ、別の男性と無理に結婚させられた女性アーセット
- 往診に行った先で監禁され、結婚させられた女医マレット
で、これらの女性たちが現状を受け入れて暮らしているのを例に挙げ、
女性は世界的に強くなったかもしれない。しかし、女性がキャリアを構築したり、他人に奉仕したりすることよりも、まずは家庭を持ち、自分自身を幸せにするべきだと、旧ソ連の人々、特にコーカサスの大多数の人々は考えている。
男女にはそれぞれの役割がある。異なる長所を認め合い、短所を補い合う。だから、結婚して男女が支え合って生きていくことが大切なのだと、彼らは気づかせてくれる。
様々な結婚の形があるが、この人に誘拐される運命だったのだと思えれば、マレットのように、結ばれるべき人と結ばれたのだと信じられるかもしれない。結婚前は、男性の身勝手な振る舞いに愛情どころか憎悪の気持ちさえ持つ誘拐婚だが、夫にどれだけ愛され必要とされるかのほうが、結婚後の幸せを左右するようである。
最後にこれからコーカサスや中央アジアを訪れようという女性にひと言。現地で男性に結婚を執拗に迫られたら、とにかく合意しない態度を頑なに変えないことである。もちろん、その男性が気に入って、そこに残るのも本人の自由であるが。
こうまとめています。何だよその結論。
どう読んでも、被害者たちが周囲の圧力のため告発を諦めているだけにしか思えないのに、それを肯定的に捉えてどうするんだ。誘拐される運命なんてあってたまるか。そんな相手にいくら愛されたって、幸せになんてなれるはずねえだろ。無理矢理イイ話にしようとすんなよ!
どこのおっさんが書いてるのかと思ったら、記者は1983年生まれの女性だとのこと。「男女にはそれぞれの役割がある」なんて、いまどきなかなか言えることじゃないですよ。こういう「名誉男性」みたいな若い女性ってのも見ていて痛々しいものがあるなぁ。
それはそれとして、興味深いのが、チェチェン共和国における情勢と誘拐婚の関係です。
チェチェンではソ連崩壊後の戦争によって国内経済が疲弊し、結婚の同意を得ることが難しくなった男性たちが、誘拐婚の伝統を再興させました。
誘拐婚は2007年〜2009年頃にピークに達し、現地の人権活動家の報告では、結婚全体の約25%が誘拐婚であったという。戦争によって、男性は社会経済活動が大幅に制限されて権威を失い、精神的にもダメージを受けた。そのため、簡単に結婚する方法として誘拐婚が横行したのだ。
結婚してすぐに離縁してしまう例も多発し、女性たちが男性の身勝手によって傷つけられる事態が深刻化していた。しかし、2010年からはチェチェン共和国の政令により、それまでは警察によって見逃されていた誘拐犯の取り締まりが厳しくなった。罰金刑に加え、ロシア刑法に基づいて数年の実刑に処されるリスクが高まったのだ。このため、誘拐婚が事実上不可能になった。
そして、チェチェンの人権活動家はこんなふうに話しているとのこと。
チェチェン人の人権擁護活動家の男性は女性の部下たちに、「あなたたち女性のほうが今は多いし、近頃の男性は戦争ですっかり自信と積極性を失っている。だから、今度はあなたたちが友達と共謀して、気に入った男性を誘拐しなさい。私があなたの妻になるから、あなたはこれから私のために働いて支えなさい、と言って放さなければいいのさ」とからかっている。
近年の日本においては、近頃の男性は長年の平和と戦後教育のおかげで自信と積極性を失っているから軍隊に入れて根性を鍛えなおせ、なんて言う政治家やら論説委員やらジャーナリストやらがいますが、本当に戦争をしている地域では考え方がだいぶ違うようですね。