一寸先は闇

もう五月も終わりだと思うと信じられない。たしか四月の終わりにも三月の終わりにも同じようなことを言っていたような気がする。こうやってもう今年も終わりか、もう三十代も終わりか、などと言ってる間にもう人生も終わりか、なんてことになってしまうのだろう。ダラダラしている暇はない。


といいつつ、伊丹十三の古いエッセイなどをひっくり返して読んでいる。

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)

「ですます」調と「である」調をたくみに織り交ぜ、1968年当時のダンディズムを軽やかに語った本だ。とはいえ今になって読むとスノビズムがいささか鼻に付くところもあり、時代の変化で古くなった部分もある。当時は「鰐梨」とも呼ばれ、国内では珍しかったアボカド(本文中の表記は「アヴォカード」)について言及してあるが、レモンとオリーブ油で食べる、なんて書いてある。さすがの伊丹も、アボカドを刻んでご飯にのせ、醤油をかけて食べるとうまい、なんてことは知る由もなかったようだ。それに、女性が料理に手をかけないことを嘆いてみせる章では、マヨネーズの作り方に関する薀蓄をひとしきり述べてから、

 友人のうちへ遊びにゆくと、奥さんが胡瓜やレタスを刻んで、チューブ入りのマヨネーズをにょろにょろとかけたやつを出してくれる。あれは侘しいなあ。自分の工夫が一つもない。したがって料理でもなんでもない。男は何のために結婚するか。ベッドと食事のためだそうである。ということは料理は結婚生活の五十パーセントではないか。世の奥さまがたは、今少し料理に情熱を持ってくれなければ困るぞ。
 第一、そんなことより、自分で作ったマヨネーズというのは断然うまいのである。チューブ入りのマヨネーズや、瓶入りのサラダ・ドレッシングなんぞ問題にもならない。

なんてことを書いている。さすがの伊丹も、それから十数年後に味の素マヨネーズのCMに出ることになろうとは、知る由もなかったようだ。

  • 味の素 マヨネーズCM 80年代後期


人生、一寸先は闇なんである。ダラダラしている暇はないんである。