Point of View

今週の週末は、土曜日には「せんだい文学塾」で熊谷達也先生の、日曜日には山形の「小説家になろう講座」で誉田哲也先生の講座を受けてまいりました。

七夕しぐれ (光文社文庫)

七夕しぐれ (光文社文庫)

シンメトリー (光文社文庫)

シンメトリー (光文社文庫)


小説を書くときには、視点と人称が重要です。大きく分けると、

  1. 一人称一視点
  2. 三人称一視点
  3. 三人称多視点

があります。それぞれ、書けることと書けないことがあります。一人称の場合、語り手となる人物の心理を詳しく書くことができますが、その人物が得ていない情報を書くことはできません。


熊谷達也先生は、ホワイトボードに絵を描いて、それぞれの視点を解りやすく解説されました。一人称の場合は語り手の内部に作品世界を見るカメラがあり、三人称一視点の場合は語り手の後頭部あたりにカメラがある。一人称なら内面を書けますが、かわりに、主人公をカッコよく書くことには向いてません。一人称で「俺はハンサムだ」とか書いてしまうと、不真面目な印象を与えてしまいますからね。

そう書いてしまうのは、夢枕獏先生の「サイコダイバー・毒島獣太」ぐらいのもんでしょうね。


三人称ならば、語り手をカッコよく書くこともできます。また、一人称でも語り手が得ていない情報を書くことも、時勢をずらして、回想形式にすれば可能です。そうすれば、作品世界を外から眺めることもできますね。


また、複数の作中人物が語り手を務める形式の三人称多視点もできますが、視点が入れ替わりすぎると読者は混乱します。ミステリでは、これを意図的に使う叙述トリックもありますけどね。


そして、作品世界を俯瞰で眺める、いわゆる「神の視点」という叙述形式もありますが、これは現代の小説ではあまり使われず、歴史小説によくみられます。司馬遼太郎がその典型ですね。

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

小説には「説明」「描写」「会話」の三要素があり、神の視点は「説明」に向いています。しかし、小説の基本は「描写」にあるので、あまり神の視点は多用すべきでない、とのことでした。



土曜日の講座では、熊谷先生がこのように「視点」について講義されました。ぼくは、この内容をゲームにたとえて、主人公の姿が出ないFPSと、主人公も(半透明とかで)画面に現れるゲームを引き合いに出したエントリを書こうかと思っておりました。


すると、日曜日には誉田哲也先生が同じく「視点」をテーマにして講義され、しかも、ホワイトボードに「スーパーマリオ」と「マリオカート」と「Left4Dead」のゲーム画面の絵を描いて例に出されたので、びっくり。

スーパーマリオコレクション スペシャルパック - Wii

スーパーマリオコレクション スペシャルパック - Wii

マリオカートWii (「Wiiハンドル」×1同梱)

マリオカートWii (「Wiiハンドル」×1同梱)


熊谷達也先生と、誉田哲也先生。作風は違っても、「視点」について注意することは共通なんですねぇ。


誉田先生は締め切りに遅れたことがなく、当日に入稿したことすらないというお話や、熊谷先生が高校文芸部の賞選考を務められたときは、7割から8割が一人称小説だったことなど、イイお話がたくさん聞けました。