消されたライセンス

三沢光晴リング禍を受けて、自民党本部にプロレス団体トップを招いて意見交換が行われました。


http://www.sanspo.com/fight/news/090618/fga0906181229003-n1.htm

三沢さん死亡で意見交換 馳議員や武藤参加

 2代目タイガーマスクとして活躍した人気プロレスラー三沢光晴さん(46)が試合中に頭を強打して死亡した事故を受け、自民党文部科学部会・文教制度調査会の合同会議は18日、党本部に三沢さんの所属団体関係者らを招き、再発防止策や選手の健康管理について意見交換した。

 三沢さんが所属していたプロレスリング・ノア仲田龍取締役総括本部長や全日本プロレス武藤敬司社長、新日本プロレスの菅林直樹社長らが出席。元プロレスラーで同部会長の馳浩衆院議員が「6月18日は三沢選手が生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつした。議員らからは「プロレス業界として統一した協会がない。今後、どうするのか」などの意見が出た。

 仲田総括本部長は終了後「レフェリーや対戦相手は、戦いながら相手の状況を観察してもらう技術を身に付けてほしい」と再発防止を強調。武藤社長も「統一的な機構ができるかどうか考えたい」と話した。

 三沢さんは13日夜、広島市での試合中に相手選手がかけた技で頭から落ち、搬送先の病院で死亡が確認された。

すごいなぁ。菅林社長はともかく、三沢とは長いこと並び称されてきた武藤と、全日時代から三沢に連れ添ってきたガチドラ(仲田龍本部長の異名。「ノアだけはガチ」+ドラゴンの意。最近は客入りの低下から「ガラドラ」(ガラガラ+ドラゴンの意)とも呼ばれる)と、後藤達俊のバックドロップで心停止の経験を持つ馳が一堂に会したのだから、なんだか知らんがとにかく大ゴトだという気はしてきます。


実際、ノアと新日と全日が中心となって、プロレスラーにライセンスを発行するコミッションを立ち上げようという動きはちょっと前からあったのですが、今回の奇禍がその動きを加速することになるんでしょうか。こんなことでもないとみんな協力しあえないのか、プ業界って。


日本プロレス時代にはコミッショナー制度があり、酒井忠正や大野伴睦、川島正次郎、椎名悦三郎といった政治家がその任をつとめました。新日本プロレスでは、1979年に国際プロレスとともに二階堂進コミッショナーに戴きましたが、これは全日本プロレスには無断で決められたもので、統括コミッションというわけにはいきませんでした。

二階堂進―清貧の政治家 (鹿児島人物叢書 (4))

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力道山を深く尊敬していた上田馬之助は、日本プロレスコミッションから交付されたレスラーライセンスを後年になっても持ち歩き、周囲の人に見せては日プロ時代を懐かしんでいたといいます。

ふたりでひとり―上田馬之助とその妻の物語

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馬之助には、深夜にホテルでレスラーの隠し撮りをしていた少年ファンを捕まえ、自宅に「わたくしプロレスラーの上田馬之助ですが、いま息子さんをお預かりしています。必ずお返ししますので、ご心配しないでください」と電話したという心温まるエピソードも伝わっています。もしコミッションが出来たら、このようにレスラーの人格的な向上にもつとめていただきたいものですね。