危険な童話
今年のノーベル賞は、日本人の先生が四人も受賞されていて、めでたい限りです。
昨日は、京都産業大学の益川敏英教授、高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授、シカゴ大学の南部陽一郎名誉教授が物理学賞を受賞され、今日は、ボストン大学の下村脩名誉教授が化学賞を受賞されました。
それにしても、「小林誠」って名前はよく見かけますね。オレが知ってるだけでももう4人目ですよ。
漫画家の小林まこと
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ギンティ小林(本名は小林誠)
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それはともかく。
益川教授が「大してうれしくない」と発言されていることに関連して、このエントリが話題になっています。
なぜ「大してうれしくない」か - 白のカピバラの逆極限 S.144-3
この先生方は、すでに物理学界では超大物であって、今さら受賞したところでどうってことないらしいです。服部幸應が調理師免許を取っていなかったのと同じようなもんですかね。
んで、こんな一節がありました。
小林先生・益川先生はそろそろ敬称を失う方々である。つまり小林・益川と呼び捨てにしないと私のような下っ端には何となく落ち着かない、ということだ。これは足利尊氏を足利尊氏様と呼んだら「おまえ何」という感じがするのと同じである。
この「敬称を失う」という表現はなかなか印象的ですね。
そういえば昔、ジャイアント馬場が存命だったころ、ファンの間では「馬場さん、と呼ぶのは失礼だ。現役レスラーなのだから、馬場、と呼び捨てにするべきだ」などといわれていたものでした。このことからもわかるように、敬称をつけないことで表す敬意というものもあるんですね。
作家や漫画家にしたって、「先生」なんてつけて呼ぶのはどこかで自分と地続きな存在だと思っているからであって、本当の大物は呼び捨てにされる、とよくいわれています。
それも、フルネームで呼ばれるうちはまだまだで、真の大物は下の名前だけ、とも。
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一流と二流
地方の講演会では、終わってから宴席に招かれることがある。講師をダシにした、主催者側の役得であろう。
酒がまわり出すと、出席者たちの私語がだんだん声高になって、面白い会話が、こちらの耳にとびこんでくる。
「一流の作家と二流の作家は、どういうところで区別されるのかな」
「名前だけで通用するのが一流。姓と名前をつづけて呼ばれるのが二流ってところだ」
「たとえば?」
「まず漱石だな。いちいち夏目漱石なんて言わねえだろう。それでもパッと通じるんだ。鴎外もそうだな。子規、藤村、啄木……」
「うむ。一葉、露伴、鏡花もいるな」
「みんな一流だから、名前だけで世間に通用しているんだ」
「今日の講師はどうだ」
「隆夫じゃ通じねえな。土屋隆夫でもあぶねえもんだ」
「バカ。でかい声出すな。そうすると、推理作家にゃ一流はいねえのかな」
「いるさ。乱歩。乱歩だよ。こりゃ超一流だぜ。名前だけで通じるのは、このひとだけだ」
聞いていた私は、思わず膝をのり出した。おッ、出た、出ましたね、よう、そこの若いひと、もっとこっちへ来てくれ。さ、すしを食いねえ、酒を呑みねえ、おめえ信州の生れだってねえ、と虎造ぶしの一節が出そうになるのをこらえて二人の会話に聞き入っていた。あの好青年には、もういちど会いたいと思っている。
なるほど。名前だけで通じるとなると、乱歩のほかには正史と清張ぐらいしか思いつかないですね。というか、昭和以降の作家でこういう雅号みたいなペンネームつける人ってあんまりいないし。
奈須きのこを「きのこ」って呼んだって、なんのことかわかりませんしね。
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