艶福地獄−花輪大八湯守り日記

本日は、山形市で毎月恒例の「小説家になろう講座」を受けてまいりました。


今月の講師は、直木賞受賞作家の高橋義夫先生です。

高橋先生は山形を拠点として活動されており、近年の時代小説などは多くが山形を舞台にしています。この講座を1997年に立ち上げたのも、高橋先生の功績です。


ちなみに、1月にこちらのエントリ高学歴文系&職歴なし&30歳でWebクリエイターになる方法 | 高橋文樹.com | その他ホッテントリになった高橋文樹さんは、義夫先生のご子息です。

途中下車 (幻冬舎文庫)

途中下車 (幻冬舎文庫)


今回教えてもらったのですが、森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』の文中で使っている「技癢ぎよう」という言葉があります。

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

他人がやっているのを見て、自分がやってみたくて腕がむずむずする気持ちのことを古い言葉でそう表現するのですが、ものを書く人は、他人の作品を見てそう感じなくてはいけないんですね。


まぁ、鴎外は夏目金之助が小説を書き始めたのを見て技癢を感じたといいますから、そのレベルで感じられる人はそういないと思われますけども。



また、作家志望者は他人の評価より自己評価が高い「プライドお化け」が多い、とも。

これはブロガーも同じだと思いますね(笑)


でも自己評価というのは難しいもので、自分の中での作家の部分と評論家の部分とのバランスをとるのは至難の業だともいわれます。


川端康成は、若い頃は新人賞の選考員などで誉める名人だったのが、晩年にはどんな作品を渡してもけんもほろろだったそうです。そのバランスの崩れが、自死という最期につながったとも考えられますが、そんなレベルではないにせよ、評論家の部分が強くなりすぎると何も書けなくなるし、作家の部分が強くなりすぎると思いつきだけで書いてしまうので、作家志望者のみならずブロガーもこのバランスには気をつける必要があると思います。

ありがとうございました。


講座の後の懇親会でも、世界各地を舞台にしたイイ話やヤバイ話をたくさん聞かせていただきました。でもとても書けません。


来月の告知

7月の告知をここでしておきます。