私たちの望むものは

さて、土曜日に『ゾディアック』観てきたわけですが。

ゾディアック (ヴィレッジブックス)

ゾディアック (ヴィレッジブックス)

作中、警察の必死の捜査にもかかわらず事件の迷宮入りがほぼ確定的となったころ、ゾディアック事件をネタにした映画『ダーティハリー』が公開される、というエピソードがあります。
[rakuten:cinema:10098802:detail]
こちらの映画では、無差別殺人犯「さそり」は軽薄そうな青年で、まったく屈託なく人を殺し、なんの躊躇もなく子供たちに「漕げ漕げ漕げよ」の歌を歌わせ、なんら改悛の情を示すことなくハリーを陥れようとします。

ドン・シーゲル監督は、さそりを純粋な悪の象徴として演出しており、さそりがなぜ凶行に走るのか、いかなる人生を歩んできたのかはまったく描かれていません。

ハリー刑事も、動機は「He likes it」の一言で片付けています。


ですが、今回の『ゾディアック』では、数人浮上した容疑者はいずれもそれなりの中年で、歩んできた人生にはそれなりの重みがありそうな、悪人にしてもそれなりのコクのある人物として描かれております。

湖畔でのアベック襲撃にしても、さそりのスマートさには程遠い、モタモタした手際の悪さが逆にリアリティを出してましたしね。


さそりのように、どこから生まれたのかわからない怪物ではなく、被害者の側に立っている(と信じている)「われわれ」の社会に住む、「われわれ」と同じところから生まれてきた、「われわれ」の隣人であり、そして殺人鬼。

まぁいずれも逮捕されなかったわけではありますが、ゾディアックのそんな姿を人々は認められず、彼の立ち位置を「われわれ」の世界とは違うところに求めていった結果が、アンディ・ロビンソンが演じた「さそり」の姿だったんだろうなぁ、と思ったのでありました。


人々が理想を投影していたのは、みんなが求めていたのはハリーよりもむしろさそりの方だったんだ。



私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ


岡林信康『私たちの望むものは』)

狂い咲き

狂い咲き