暁の七人

東京地裁で開かれた裁判員裁判で、こんな一幕があったとか。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100601/trl1006011913015-n1.htm

「私はラインハルト」と日本人被告が無罪主張 混乱する裁判員裁判…弁護士同士で解任騒動も

 「自分はミサキライトラインハルトです」

 東京都内で昨年5月、女性を刺してけがを負わせたとして、殺人未遂罪に問われた無職、金子正幸被告(40)の裁判員裁判の論告求刑公判が1日、東京地裁(若園敦雄裁判長)で開かれた。被告人質問で証言台に立った金子被告の口から飛び出した不可解な“氏名”に、法廷は一瞬、静まりかえった。

 起訴状によると、金子被告は昨年5月28日、葛飾区のホームセンター店内で、殺意を持って女性=当時(53)=を背中から包丁で刺し、けがを負わせたとされる。さらに、検察側は前日の冒頭陳述の中で、「被告は東京・秋葉原で起きたような無差別殺傷事件を起こそうと考えていた」と指摘していた。

 そもそも、初公判前に争点などを絞る「公判前整理手続き」では事実関係に争いはなく、起訴事実を全面的に認めるはずだった。

 しかし、金子被告は前日に開かれた初公判で突然、無罪を主張。起訴状には「金子正幸」と氏名が記され、「昭和45年4月1日生」とあるにもかかわらず、「私は金子正幸ではない」と述べ、さらに、生年月日も「平成4年生まれの18歳」と口にしていた。

 このため、検察側は1日の公判で、被告の責任能力を認めた精神鑑定書を証拠として採用するように追加で申請した。だが、これに同意した主任弁護人に向かって、再鑑定を求める別の弁護人が「だめだよ!解任するよ」と詰め寄るなど、弁護方針は真っ向から食い違い、静かに耳を傾けていた女性裁判員が驚いた表情を浮かべる場面もあった。

 被告人質問で金子被告は「私は何もやっていない」「やっていないことについて、おわびがどうとか言えない」などと“持論”を展開。被害者あてに金子被告自身が書いたという謝罪文を検察官が突きつけると、「これは僕の字じゃない」と応じた。

 その後、被害者参加制度に基づいて、被害者の女性が出廷して意見陳述し、「通り魔という、身勝手で卑怯(ひきよう)な犯行を恥じてください。一人前の大人がすることですか。犯人が(法廷で)懺悔(ざんげ)する姿を期待していたが、強い憤りを感じる」と、金子被告を厳しく指弾した。

 検察側は「被告は精神障害者を装うなどして、責任を逃れようとしているが、被告が犯人であることは明らか」として、懲役10年を求刑。弁護側は「被告には刑罰よりも治療が必要」として、寛大な処分を求めた。

 「目が熱いっていうか、痛いっていうか、重くて見づらい」として、この日の公判では終始目を閉じたままだった金子被告。求刑を聴いた後は、「詐病(さびょう)といわれているが、僕は演じていない。僕は法廷でうそは言っていません」と述べて退廷した。

 判決は2日に言い渡される。

被告が本当に病気だとしたら、病名は何よりまず中二病だと思います。なんだよミサキライトって。40男のネーミングセンスとはとても思えんぞ。


それにしても、元記事のブクマを見ると
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みんな「ラインハルト」と聞いて『銀河英雄伝説』を思い浮かべているようですね。

少しぐらいは、ナチス高官のラインハルト・ハイドリヒを思い出す人がいてもいいんじゃないか。
死刑執行人もまた死す(トールケース仕様) [DVD]

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ホロコーストの最高司令官にして、ヒトラーの後継者とも目されていたラインハルト・ハイドリヒでしたが、1942年、英国政府の命を受けた7人の亡命チェコ人部隊によって、手榴弾で暗殺されました。この事件を題材にした映画としては、フリッツ・ラング監督のドラマ『死刑執行人もまた死す』が有名です。


また、決死隊の文字通り決死の戦いを描いた『暁の七人』という映画もあります。

暁の七人―ハイドリッヒの暗殺 (1976年) (ハヤカワ・ノンフィクション)

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DVD化されていない幻の作品ですが、最近『イングロリアス・バスターズ』元ネタのひとつとして紹介され、脚光を浴びました。イギリス軍の短機関銃であるステンMkIIを撃ちまくる場面のカッコ良さときたら、もう。

この場面が『イングロ』でどう生かされているか、は実際の作品でご確認ください。


あと、ジャンゴ・ラインハルトのことも時には思い出してあげてください。

ジャンゴロジー

ジャンゴロジー