もし横溝正史が桃太郎を書いたら

先日のネタがちょっとウケたので、調子に乗ってまた続けます。


過去のネタはこちら。
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で、第4弾。

もし横溝正史が桃太郎を書いたら

 備中笠岡から南へ七里、瀬戸内海のほぼなかほど、そこはちょうど岡山県広島県香川県の、三つの県の境にあたっているが、そこに周囲二里ばかりの小島があり、その名を鬼ヶ島とよぶ。
 鬼ヶ島。――
 このいまわしい名の由来については、昔から郷土史家のあいだに、いろいろと説があるようだが、そのなかで、いちばん妥当と信じられているのが、元来、この島は尾木ヶ島とよぶのが正しいという説である。
 藤原純友の昔から、瀬戸内海の名物といえば海賊であった。わけてもその勢力のさかんだったのは、南北朝時代のことである。これらの海賊の中に、尾木何某というひときわ強壮な偉丈夫を頭目とする一味があった。彼らが根城としていた島は尾木ヶ島と呼ばれ、それがいつか転じて、鬼ヶ島となったのである。――と、こういうのである。
 しかしこれには異説があって、これは歴史的な子細というよりは神話のたぐいに属する話である。かつてこの島は鬼たちが住む島であり、そこに桃から生まれた桃太郎なる英雄が、犬・猿・雉を家来に従えて現れ、鬼どもを退治してこの島を平定した、というのである。岡山県の鬼首村に住む在野の民俗研究家、多々羅放庵氏の考察するところでは、海賊の流れを汲んだまつろわぬ民である尾木何某が、中央の権力によって屈従した経緯が、寓話として現代にまで伝わっているのではないか、とのことである。桃は神秘的な力を持った英雄の象徴であり、貴種流離譚としての道具立てにすぎない。
 この寓話は、現今の鬼ヶ島でも村人の間に深く浸透しており、島の中央にある神社では、滅ぼされた鬼たちを尾木明神と称して祀っているのである。
 いずれにせよ、この島は風光明媚な瀬戸内海にありながら、鬼ヶ島なる不吉な名で呼ばれるようになったのである。それが近代になると、その名が全国の新聞に喧伝されるような、一大不祥事件が起こった。そして、その事件こそ私がここに紹介しようとする怪事件の、直接の端緒となっているのである。
 それは大正×年、すなわちいまから二十数年まえのことである。
 鬼ヶ島を支配する刑部家の当時の主人は、鉄馬といって、そのころ三十六歳だったが、刑部家には代々狂疾の遺伝があり、鉄馬も若いころから、とかく粗暴残虐の振る舞いが多かった。妻と子がありながら、近隣の島で美しい娘を見初めては、漁師どもを使嗾してさらってき、土蔵に閉じ込めては慰み者にするのが常だったという。この後始末をするのが、鉄馬の叔母にあたるお糸さまとお蔦さまの双子姉妹であった。鉄馬が飽きる頃合いを見計らっては娘を解放し、いくばくかの金を持たせて実家に帰すのである。これほどの横暴が見過ごされたのは、専横をきわめた刑部家の権力がいかに強かったか、を物語っているといえるであろう。
 ところが、その年に鉄馬がさらってきたのは、隣の島へ嫁入りしてきたばかりの青池倭文子という若き人妻であった。鉄馬はこの人妻に対し、それまでの女とは比べものにならないほどの情欲を燃やし、朝も夜も土蔵に入り浸っては倭文子の肌を愛撫し続けた。しかし、相手が人妻ではこれまでのように、飽きるまでそのままにしておくわけにはいかない。お糸さまとお蔦さまは、鉄馬が酒に酔って眠っている間に、ひそかに土蔵の鍵を開けて倭文子を解放したのであった。倭文子は婚家に帰るや、良人と手を取って島を出奔し、その行方は杳として知れない。これも鉄馬の追っ手を恐れてのことである。
 鉄馬の苛立ちはしだいに気違いじみてきて、二人の叔母も、妻のお小夜も、恐ろしくて近くへ寄れなかった。島の者も、誰一人口をきこうとするものはなかった。
 こうしてついに、鉄馬の怒りは爆発したのである。
 それは孤島に春がやってきたばかりの、ある夜のことであった。
 島の人々は突然、時ならぬ銃声と、ただならぬ悲鳴に眠りをさまされた。何事が起こったのか、と表へ飛び出した人々は、そこに世にも異様な風体をした男を見た。
 その男は、浅葱色の着物に赤い陣羽織を着て、足に脚絆を巻き草鞋をはいて、白鉢巻をしていた。そしてその鉢巻には「日本一」という字が染め抜かれ、胸にはキビ団子を詰め込んだ巾着袋をぶらさげ、背中には「日本一」と染め抜いた幟を立てていた。帯には日本刀をぶちこみ、片手に猟銃をかかえていた。
 これが鉄馬だった。
 彼はまず、そういう風体で、妻のお小夜を斬って捨て、そのまま狂気のように家を飛び出したらしい。さすがに二人の叔母や子どもたちには手をつけなかったが、その代わり、罪もない村の人たちを、当たるを幸いと、あるいは斬り捨て、あるいは猟銃で狙撃して回った。
 こうして鉄馬はひと晩じゅう村を暴れまわったあげく、夜明けとともに小舟で島の外へ出奔し、ようやく恐怖の一夜は明けたのである。
 そのとき、鉄馬によって傷を負わされたものは数知れなかったが、即死したものは二十四人を数えた。実に酸鼻を極めた事件で、世界犯罪史上にも類例がないといわれている。しかも、小舟で逃げ出した犯人の鉄馬はついにその行方がしれなかった。鉄馬の消息はいまもってわかっていない。いくらなんでも海へ出て二十数年、そんなに長く生きていられるはずがないというのが常識的な判断だが、村人のなかには、頑固にそれを否定しつづけているものも少なくない。


 こうして二十数年の歳月が流れて、鬼ヶ島にはまたしても恐ろしい事件が発生したのである!
 しかも、ああ、それはなんという恐ろしい事件だったろうか。激情の犯罪だった二十四人殺しとはうってかわり、ネチネチとした悪意に包まれた、周到な、無気味な、えたいの知れぬ悪夢のような人殺し、そして不可能とさえ思われるほど、恐ろしい事件の連続だったのである。


 終戦から数年たった、昭和二十×年九月下旬のことである。
 鬼ヶ島の南側に広がる砂浜に、人の背丈ほども大きな桃が打ち捨てられていた。いや、桃ではない。これは、尾木明神の大祭における能神楽で使われる、桃をかたどった張り子である。天辺の紐を引くと、真ん中から二つに割れ、そこから神童が生まれ出てくるという趣向だ。
 ところが、今日の桃はどこかまがまがしい。それというのも、その底からはどす黒い液体が染み出して砂浜を湿らせており、むせかえるような血の匂いを放っているのである。島の駐在である清水巡査は、桃を発見した漁師の作造によってここに連れてこられたのだが、笠岡署からの本部捜査員が来るまで、桃を開けることもできずに立ち尽くすばかりであった。
 重苦しい沈黙に耐えていた清水巡査に、出し抜けに「ちゅ、ちゅ、ちゅ、駐在さん。こ、こ、こ、これは殺人事件ですね」と声をかける者があった。三十五、六ぐらいの、小柄で貧層な男であった。皺だらけの絣の着物に、セルの袴をはき、砂浜だというのに白足袋に下駄ばきである。頭はモジャモジャの蓬髪で、手には先ほどまでかぶっていたのであろう、形の崩れた帽子を持っている。蓬髪をガリガリと掻きむしると、そこらじゅうにフケが飛び散った。
「誰だねあんたは」不潔さに眉をひそめながら清水巡査が問うと、その男は「申し遅れました、ぼくこういう者です」と、名刺を取り出して渡してきた。


 その名刺には、住所も肩書もなんにも書かれておらず、ただその男の名前――金田一耕助、と、そうあるだけ。

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