黒い太陽731

アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』とトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』、ジョナサン・デミトマス・ハリス原作)の『羊たちの沈黙』は、どれも同じ、実際にあった事件をモチーフにしている。

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モデルになったのは、1957年にウィスコンシン州で発覚したエド・ゲイン事件だ。
オリジナル・サイコ―異常殺人者エド・ゲインの素顔 (ハヤカワ文庫NF)

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狂信的クリスチャンで性行為を罪と考える母から、自らの男性性を否定する倒錯した教育を受けて育ったゲインは、母の死後は、中年女性の墓を暴いては死体を解体し、皮膚や骨を家具や衣服に加工するという蛮行に走る。乳房のついたベストや、切り取った女性器を身に着けて、髪のついた頭皮を被って女性に変身し、人間の皮膚を張った太鼓を人骨で叩いていたという。ついには二人の中年女性を殺害し、逮捕された。
ゲインはごみを捨てるということをしなかったため、自宅はすさまじく散らかっており、その中には大量の人骨や皮膚のオブジェとともに、内臓を抜いて吊るされた被害者の死体があった。新鮮な死体を「肉」としていたことは一目瞭然であった。


この事件は全米に大きなセンセーションを巻き起こし、ゲインの使っていた車が業者に買われ見世物になるなどした。
ゲインは精神異常と判断されて罪を問われることはなく、収容された病院で穏やかな生活を送り、1984年に77歳で亡くなった。



ヒッチコックは、ゲインと母親の倒錯した関係に目をつけ、『サイコ』のノーマン・ベイツを創造した。


トビー・フーパーは、ゲインの乱雑で不潔な自宅と人皮マスクに目をつけ、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスおよびソーヤー一家を創造した。


トマス・ハリスは、ゲインの人皮ベストと性倒錯に目をつけ、『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルを創造した。



もちろん、これらの作品はゲインの実像とは甚だしく異なる。ゲインの家はモーテルではないし、死体を解体するのにチェーンソーは使っていないし、腕にギブスをはめた姿で被害者を油断させたのはゲインではなくテッド・バンディの手口だ。だからといって、これらの名作を「事実を歪曲している」と批判する人はまずいない。実際の事件はあくまでインスパイア元であり、そこから生まれた創作が事実そのままである必要はないからだ。



これらはあくまで「モチーフにした」にとどまっているが、実在の人物を実名で描く作品も、やはり事実とは異なる部分があり、製作者が表現したいテーマがそこにはある。

ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向って撃て!』は、実在したギャング、ブッチ・キャシディサンダンス・キッドを主人公としているが、凶悪なギャングだった彼らをロマンティックな旅人として描き、リリカルな青春映画に仕上がっている。
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ボニー・パーカーとクライド・バロウを描いた、アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』も同様である。強盗殺人犯の彼らを美化して描いている。ちなみにこの作品で重要な役割を果たすC・W・モスは、二人の人物を一人に合成したものである。


わが国で、実際にあった事件をモチーフにした映画といえば、深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズが有名だが、これにしても事実と異なる点は多い。

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もっとも改変が目立つのは、特に人気の高い第二作『仁義なき戦い・広島死闘篇』である。この作品では、第一作のラストで山守組長(金子信雄)と離れた広能昌三(菅原文太)が、山中正治北大路欣也)と出会う場面があるが、実際には、山中のモデルになった山上光治は、第一作の時代より先に死んでいる。第一作で、広能昌三は土居清(名和宏)を暗殺しようとして失敗するが、広能のモデルになった美能幸三の手記(これが映画の原作である)によれば、警察に追われる身となった美能は、山村組長から「お前、山上光治の真似せい」と自決を求められているほどである。
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ちなみに、若杉寛(梅宮辰夫)のモデルとなった大西政寛は「悪魔のキューピー」の異名をとった童顔の優男で、辰兄ィとは似ても似つかないことも付け加えておく。

(↑これが大西政寛)





さて。





内藤瑛亮監督の自主制作映画『先生を流産させる会』の劇場公開が決まり、物議をかもしている。


http://matome.naver.jp/odai/2133117753223837401


これは、2009年に愛知県半田市で起こった事件をモチーフにしている。担任教師を嫌う男子生徒たちが「先生を流産させる会」を結成し、教師の車を汚したり、椅子のねじを緩めたり、給食にみょうばんを混入するなどした事件だ。このnaverまとめでは「悲惨な事件」とあるが実際には稚拙ないたずらであり、教師には何の被害もなかった。いたずらされていることにすら気づかなかったほどである。とはいえ、込められた悪意は深い。芸術家の創作欲を刺激するのもうなずける。


映画の内容はこちらを参照のこと。
先生を流産させる会/先生、妊娠してるんだよね。気持ち悪くない? | 映画感想 * FRAGILE
現時点では映画祭などの上映にとどまっているため、ぼくはまだ観ていないが、実際に観た人の評価は高い。



映画では、男子生徒を女子に置き換え、成長する女子たちの、性へのとまどいと恐れが、妊娠した教師への悪意に向かうことになる。思春期の女性の、性へのとまどいをテーマにした作品は少なくない。スティーヴン・キングの(ブライアン・デ・パルマによる映画も有名な)『キャリー』はその代表といっていいであろう。

キャリー (新潮文庫)

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映画『先生を流産させる会』には、プールの授業中に女子生徒が初潮を迎える場面もあるとのことで、ますます『キャリー』に通じるものを感じる。


事実を基にしながら、内容を変えたことについてこのような文句も出ている。


http://alfalfalfa.com/archives/5278977.html

437 名前:名無しさん@恐縮です :2012/03/08(木) 08:09:00.12 ID:9Bk1vgs/O


てか実話とかいいながら話変えすぎ
胎児も死んでないのに死んだ設定?なんなんだこの監督

450 名前:名無しさん@恐縮です :2012/03/08(木) 08:16:43.73 id:bHC2S59w0


男子生徒がやったことを女子生徒設定にするって意味が違いすぎね?
つうか社会人で男女を変えるよりまったく意味が違ってくる

519 名前:名無しさん@恐縮です :2012/03/08(木) 09:09:54.34 id:PWYBzkMS0


誰も知らないとか八日目の蝉とかもだけど、実際のグロい事件からネタ拾って
自分の思想を盛り込んだり綺麗なお話やショッキングな展開にするために
さんざん捏造・美化しておきながら「実話を元にしています」って

アホか

コメント欄より

1006 学名ナナシ : 2012年03月08日 23:01  


普通に男子中学生のままで作れよ
それをしないってことは、つまり、この映画で伝えたい事は意図するものがあったりするんだろうなぁ

現実とフィクションで意味が違い、作者の思想を盛り込み、伝えたい意図があるのは当たり前の話である。


園子温の『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』『恋の罪』も、実際にあった事件をモチーフにしている。

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しかし、現実の事件からはまったく改変され、監督の作家性が強く出ているのがわかる。現実の事件をモチーフにしたフィクションとは、そういうものである。作劇に作家性を盛り込むのをよしとしない価値観は、まったく理解できない。
アニメ系ニュースサイトがこの映画をよく叩いているが、もしかして一部のアニメファンは「実写=現実をそのまま描くべきもの」とでも思っているのだろうか。絵で描こうが役者に演じさせようが、作劇という点では同じなのに。


園子温作品のときは、こんな反応はほとんど見られなかった。単に彼らの興味の領域外だったのかもしれないが、「妊娠」や「中絶」の話題は2ちゃんねるでは必ず盛り上がるので、そこが彼らの琴線に触れたのかもしれない。


ちなみに、関東軍731部隊の人体実験を描いた香港映画『黒い太陽731』という作品がある。

中国側のプロパガンダ映画ではあるが、凍傷実験(凍らせた手をお湯につけると、おいしい水炊きみたいに肉がほろほろとはがれてキレイな骨だけになる)や真空実験(体が膨れ、肛門から腸がびろろーんとはみ出る)などのトンデモ描写、本物の死体を解剖場面に使い、生きた猫をネズミの大群の中に放り込むなどのカッ飛んだ残酷描写のため、一部の好事家の間では残酷映画の傑作として高く評価されているのであった。


内容がいかに事実から離れていたとしても、映画にいちばん大事なのは面白さである。まず面白いことが第一なのだ。