津山三十人殺しのまぼろし
http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20080520#p4
こちらでも取り上げられていますが、今日は津山三十人殺しから七十周年の忌日です。
しかしながら、この事件については、最近の研究によって疑義が提出されていることを知らない人が多いようです。
ここで、それらの事実を指摘しておきます。
人口問題
この事件では、都井睦雄なる青年により、三十人(自殺した都井自身も含む)が殺害されたということになっています。
しかしながら、都井が住んでいた自宅周辺の、数軒の家の世帯人口を合計しても、二十人程度しかおりませんでした。したがって、三十人を殺害するのは不可能であります。
それに、こちらのデータをごらんください。
http://www.pref.okayama.jp/kikaku/toukei/kidspage/1toukeidata/1jinko/1jinko.html
それほど多数の人が殺害されたというのに、昭和10年から15年にかけて、人口が大きく減ったようすは見られません。ここに欺瞞を感じない人は少数派でありましょう。
武器問題
都井睦雄は、日本刀一振りと匕首二振り、九連発の猟銃一丁で殺戮を行ったとされています。
しかしながら、日本刀は三人も斬れば刃こぼれを起こし、使いものにならなくなるというのはもはや常識であります。
銃にしても、しょせんは猟銃です。軍用の自動小銃ではありません。それも、五連発を九連発に自分で改造したという、粗悪なものでした。そんな銃で、一時間ちょっとの間に三十人も殺すことなどできるのでしょうか。
それに、睦雄はポケットに実弾百発を入れ、たすきがけにした雑嚢にも百発の実弾を入れていたといいますが、この事件から間もなく勃発した第二次世界大戦においては、死傷者一人当たりの使用弾薬数は二万五千発といわれています。三十人を殺害するためには、少なくとも七十五万発の実弾が必要になるわけで、都井の持っていた程度の弾薬で殺戮を行うのは、とても不可能であります。
動機問題
都井の凶行は、かつて関係のあった女性が他家に嫁いだのを恨んでのことだとされています。
しかし、彼はその憎い相手を殺害せず、無関係の人間を多数殺害しています。これでは、動機の説明がつきません。
また、彼の遺書と称するものは残っていますが、これほど大規模な殺戮行為をしたからには、計画書も必ず残っているはずです。にもかかわらず、睦雄が殺戮計画を立てていたことを示す証拠は、残っておりません。わずかに、親しかった知人に「どうせ肺病で死ぬんじゃから、阿部定以上のどえらいことをやってやる」と漏らしていたことが伝わっているのみです。これでは、殺戮行為が彼の計画で行われたと認めることは、到底できません。
埋葬問題
この事件の被害者は三十人といわれていますが、これだけの人数を埋葬するのはたいへんなことです。
当時の日本人の平均身長が低かったことを考慮して、一人あたり百五十センチで計算しても、三十人を重ねて埋葬したとすると、深さ四十五メートルに及ぶ骨の地層ができることになります。
もちろん、現在の岡山県にそんな地層は存在しません。では遺骨はどこへ消えてしまったのでしょうか。
報道問題
この事件は、横溝正史が『八つ墓村』でモチーフにしたことで広く知られています。
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ですが、横溝正史は、昭和初期には「新青年」編集長として辣腕をふるい、事件があったという昭和十三年にはすでに作家として多くの作品を生み出していた人物です。
そんな横溝が、事件の当時は結核により上諏訪に転地療養中だったとはいえ、このようなかっこうの題材を、それまで十年間も知らなかったというのは、あまりに不自然です。
ここで、横溝正史の思想について考慮してみます。
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この態度には、国体に対する敬意とか奉公精神というものがまったく感じられません。
戦時中は、探偵小説は退廃的だとして弾圧され、横溝は作家活動を制限されていました。
このことから、横溝が戦時中の日本を無条件に悪とみなし、その悪辣さを実際以上に誇張してでもアピールしたいという願望があったと想像しても、それほど無理はないでしょう。