スリーメン&ニガー

封印作品の謎2」を読み終わりました。

封印作品の謎 2

封印作品の謎 2


前作では、抗議をした側とされた側、両方に直接取材することで文章にものすごい迫真性を持たせていましたが、今回は取材が難航した苛立ちがそのまま内容に反映されていたように思われます。

キャンディ・キャンディ」篇ではいがらしゆみこに、「ジャングル黒べえ」篇では黒人差別をなくす会に、それぞれ取材拒否に等しい扱いを受けていましたので、結果としてこの人たちが分かりやすい悪役として機能することになってしまいました。



まぁそれにしても。



1988年ごろからの数年、あれだけ漫画界・広告業界を席巻した「黒人差別をなくす会」が、実質は家族三人だけのファミリー団体にすぎなかった、というのは恥ずかしながら初めて知りました。



タカラの記念碑的商標であるダッコちゃんや、カルピスのマスコットがこの世から消えたこと。


手塚治虫石ノ森章太郎の単行本に、「この作品には差別的ととられかねない表現がうんぬん」という言い訳が貼り付けられるようになったこと。


ちびくろさんぼ」や「ジャングル黒べえ」が絶版になったこと。


これら全部、たった三人の抗議によってなされてしまったのですねぇ。



さてさて。



オバQ」には、黒人をカリカチュアライズした「バケ食いオバケ」が登場するので抗議された、というのはよく知られていますが、肝心のその内容については知ることができませんでした。


今回紹介されているのを見ると。


国際オバケ連合の会議に、ウラネシヤ出身のオバケ「ボンガ」が出席します。
これが、Qちゃんを黒くして鼻輪と腰ミノをつけたようなデザイン。たしかに微妙です。


こいつが、アラスカ出身のオバケ「アマンガ」と冷暖房をめぐって口論になり、アマンガがQちゃんに
「あいつらはバケ食いオバケだから気をつけなされ」
と告げ口をするのですが、ボンガは
「なにいうか、あれは大昔のはなしだぞ」
と憤慨してみせます。


…これって、実際の原住民がさらされている偏見を反映した表現なんじゃないですか。


差別に憤慨する被差別者の姿を描くことは、むしろ差別を告発する意味を持っているんじゃないかと思うんですがどうなんでしょうか。

わたしを断罪せよ

わたしを断罪せよ

岡林信康の「手紙」は、被差別部落に生まれた女性が、差別によって離別させられた恋人に手紙を書く、という内容の歌詞を持つ、差別の悲しさを描いた歌ですが事実上放送禁止の扱いを受けていました。
放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

差別なんてない、と思い込めるならそれは幸せなことだ。
自分が差別をしていることにも気が付かずに生きていけるなら、それは幸せなことだ。


気が付くってもしかして不幸なことかも、ね。