2017年のUWF

柳澤健のプロレス史探訪シリーズ(オレが勝手にそう呼んでるだけ)最新作『1984年のUWF』を読みました。

1984年のUWF

1984年のUWF

1984年のUWF (文春e-book)

1984年のUWF (文春e-book)

(電子版もあります)


男子プロレスを扱った過去作の『1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』には、いずれも神話解体という作用がありました。『猪木』では、主としてモハメド・アリ戦における「アリ側から理不尽な要求を受けたが果敢に戦った猪木」という神話の解体。『馬場』では、「ショーマンスタイルで実力では猪木に劣る」という猪木が作った神話と、「篤実で有能な経営者」という主としてターザン山本が作った、正負両面における神話の解体。

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

1964年のジャイアント馬場

1964年のジャイアント馬場



そして『1984年のUWF』では、主として第1次UWFの興亡を描いていることもあり、佐山聡が不在となって以降のUWFを、ファンやマスコミや文化人が作り上げた「真剣勝負」「クリーンなスポーツ」「空前の大ブーム」というイメージに乗っかり、佐山のアイディアを模倣しただけの空虚なムーブメントと断じることで、「格闘王前田日明」の神話を解体する作用を生んでいます。


猪木や馬場より時代が新しく、読者として想定されている世代がちょうどリアルタイムで体験してきた神話だけに、その解体には反発も少なくありません。「前田の妥協なきファイトスタイルを恐れ、猪木が陰謀をめぐらせてドン・中矢・ニールセンやアンドレ・ザ・ジャイアントを刺客として送り込んだが、前田はことごとく勝利し、手に負えないと解雇され、第2次UWF時代の寵児となった」という神話を「ニールセン戦は通常のプロレスだったが、前田が勝手に疑心暗鬼になっていただけ」「アンドレがセメントを仕掛けてきたのは、前田がアンドレ配下のレスラーを負傷させたことへの制裁」と、説得力がありつつミもフタもない神話解体が続くので、あのころの熱にうかされた自分を覚えている身としては「もう勘弁してください」と言いたくなるところもしばしばでしたよ、ええ。



とはいえ、この本には一種の叙述トリックが仕掛けられている、ということを念頭に置いておいてもいいでしょう。


UWFの試合が、真剣勝負のスポーツと偽ったショープロレスだったのは事実ですが(プロレスはどれも真剣勝負を模したものではあるが、UWFのそれは度を越していたと言わざるを得ない)、そこでの対比で出てくる格闘技関係者が、ジェラルド・ゴルドー石井和義堀辺正史といった、相当ナニな人物ばかりなので「イヤそう言うけどアンタらだってそんな立派なスポーツマンじゃないやろ」というツッコミは、いつでも入れられる構造になっています。当時の格闘技にある程度くわしい人なら説明不要のメタ構造ですが、そこを踏まえて読む必要はあるといえるでしょう。



そして、UWFが真剣勝負の格闘技を模したプロレスをやってきたことで、その影響を受けて本物の総合格闘技が花開いた、という結論が導き出されるわけですが、UWFが果たした歴史的使命は、決してそれだけではない。プロレスの面白さを広げることに寄与した点も、決して無視はできないでしょう。
地味で見栄えがしない、とされて単なるつなぎに堕していた関節技を、本当に効く、殺しの技として復権させたのは、間違いなくUWFの功績でした。
それがこの試合にも表れています。


http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201702050003-spnavi

オカダがみのるのヒザ攻めを耐えIWGP王座死守

謎の覆面男タイガーマスクWとの夢対決を熱望

 5日の新日本プロレス「THE NEW BEGINNING in SAPPORO〜復活!雪の札幌決戦〜」北海道・北海道立総合体育センター 北海きたえーる大会では、4大タイトルマッチなどが行われ、超満員となる5545人を動員した。
 メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合では、40分を超える死闘の末、王者オカダ・カズチカが鈴木軍大将・鈴木みのるを退け3度目の防衛に成功。試合後は「戦いたい相手」として、正体不明の謎のマスクマン・タイガーマスクWの名前を挙げ、一騎打ちを熱望した。

この日は、2年余りNOAHに出向していた鈴木軍が、提携解消により新日マットに復帰してきて、本格的抗争を開始する試合でありました。結果としては、NOAHでは瞬く間に全ベルトを奪取した鈴木軍が、新日ではひとつも取れなかったため「NOAHより新日が格上」という序列を見せる効果を狙っていることがわかりましたが、まぁそれはこの業界では常套手段だからとやかく言うことではありません。


オカダは、1.4東京ドームではケニー・オメガを相手に40分を超える激闘を演じ、世界的に高い評価を得ました。目まぐるしい攻防がひとときの休みもなく続く、まさに現代プロレスのひとつの到達点といえる試合でした。


しかしおとといの試合では、鈴木の寝技・関節技テクニックが存分に発揮され、1.4とはうってかわった、正反対ともいえる展開となりました。
鈴木は前日のタイトル調印式でオカダを急襲し、ヒザにダメージを与えるという伏線を張り、当日の試合でもひたすらオカダのヒザを攻撃し続けます。
序盤の場外乱闘における、カメラマンの三脚まで使った凶器攻撃は、さすがに「世界一性格の悪い男」ギミックにふさわしいクレイジーさでしたが、場外フェンスを用いたクロス・ヒールホールドも、悪役としてのアクの強さと、関節技の名人というテクニカルさを両立させる、うまい攻撃でした。そしてリングに戻ってからは、ひたすら寝技。ヒザ十字固め、アキレス腱固め、ヒールホールド、クロスヒールホールドとU殺法のフルコースです。逃れたオカダがツームストン・パイルドライバーを狙うと、鈴木は身体を反転させてビクトル投げからまたヒザへの関節技攻撃。この辺のテクニックも、UWFがなければ日の目を見なかったであろう技術です。


気位が高いキャラのオカダに、関節技でギブアップをさせることはないだろう、と予想するようなすれっからしのプオタも、セコンドの外道がタオルを持ってエプロンサイドに上がってくるのを見て「その手があったか」とうならされました。「オカダのヒザが本当に壊れるかもしれない」という危機感を、観客に持たせる演出と、鈴木のテクニックがしっかり結びつき、説得力を生み出しています。フィニッシュに至る流れも、鈴木が何度も出してきたパイルドライバーの切り返しを、オカダがさらに切り返すという、それまでの伏線を活かした展開になっていたのが印象的でした。


前田日明高田延彦が新日マットに上がっていた時代は、これらのテクニックがまだ新日式のプロレスとうまく結びついておらず、ギクシャクした試合ばかりが続いておりましたが、それから30年を経て、UWFのテクニックがプロレス本来の面白さの中にしっかり組み込まれた、これもひとつの完成形といえる試合になったといえるでしょう。


(問題は、オカダの名勝負はいつも相手のテクニックに頼る部分が大きすぎることなんだよなぁ……)



鈴木みのるvsオカダ・カズチカの試合は、ある意味『1984年のUWF』に対するアンサーファイトのようにも見えました。プロレスから生まれた活字があり、そこからまたプロレスが生まれる。このサイクルこそがプロレスの面白さというものです。だからプロレスはやめられないんだよ!