大石内蔵助の暗号

今日はちょっと、ネットの集合知に頼りたいというか、みなさんのお力を借りたいと思いまして。


新潮選書 春本を愉しむ

新潮選書 春本を愉しむ

出久根達郎氏のこの本で紹介されている、ある春本についてのお話です。


今でこそ「表現規制」とか「わいせつ文書」というと漫画や映像、デジタルデータの話になりますが、昔は小説もよく「わいせつ」として摘発されていました。
伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』や澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』、永井荷風作(と伝わる)『四畳半襖の下張』は文学史上の事件として有名ですが、それら格調高い作品とは違い、温泉地や歓楽街でひそかに売られていた粗悪な地下出版の本も、やはり摘発の対象となりました。それらのうち、当局の取り締まりを逃れたわずかな部数が、コレクターの間で珍重されていたものです。


そういった春本は、素人の体験手記という体裁を取ったものもありますが(河出文庫でシリーズがいっぱい出てるやつ)、江戸時代の春本を近代以降に復刻したものもあります。今でこそ江戸時代の春画は芸術的興味の対象となっていますが、20世紀前半あたりまでは、江戸時代のエロコンテンツが定番として現役稼働していたのでありました。森鴎外石川啄木芥川龍之介といった文豪たちも、若き日にはそれらの春本におおいに親しんでいたのです。



で、ここで紹介するのは、大石内蔵助を主人公とした江戸時代の春本(の復刻版)にまつわるエピソードです。


忠臣蔵」の物語を、江戸時代の民衆はどのように受け止めていたのか。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では、幕府により実際の事件をそのまま題材にすることが禁じられていたため、時代は室町時代に、主人の大石内蔵助は大星由良之助という架空の人物に置き換えられていました。しかし「タブーのあるところ、必ず春本あり」と信じた出久根氏は、「大石内蔵助」が登場する春本(まぁ要するに江戸時代のエロ同人である)を探します。そして見つかった本がこちら。

艶説大石内蔵之助―祇園の手枕,鴛鴦の手枕 (1952年)

艶説大石内蔵之助―祇園の手枕,鴛鴦の手枕 (1952年)

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江戸時代に書かれた本を、昭和27年(1952年)に藤井純逍という人物が復刊したものです。この藤井という人は、戦後に多くの春本を復刻し、また、自分でも性愛関連の指南書をいくつも書いて「世界唯一人の性愛秘技研鑚専門家」を名乗った人物で、まぁ現代でいえば鹿島茂とか伴田良輔とか松沢呉一といったエロティシズム文化の研究家と、アダム徳永を合体させたような感じでありましょうか。


藤井純逍は、この『艶説 大石内蔵之助』以前にも江戸期の春本を何冊か復刻していたのですが、原文どおりに復刻するとわいせつ文書として摘発されるので、濡れ場の詳細な描写や台詞の部分を、万葉仮名方式で漢字に置き換えるという手法を取っておりました。
最初は普通に「あいうえお」をひらがなの字源どおりに「阿以宇衣於」と置き換えていたのですが、これは当局に摘発されたので、次は「いろはにほへと」を「以呂波仁保部止」に置き換えて、さらに一字ずつずらして「呂破仁保部止知」と書いて「いろはにほへと」と読ませる、という暗号文で濡れ場を語る手法を取ります。しかしこれも摘発されたので、『艶説 大石内蔵之助』ではさらに複雑な暗号を採用しました。


その結果として「わたしや、女世女世武乃之世で、呂呂、呂呂、天遠禰由。奈川奈川比世比世、女世女世、与世して太川計に以武左禰……」といった、意味のまったくわからない文章が並ぶことになりました。
巻末には、この「特殊装置」と称する暗号を解読するヒントとして「A、『ひらがなの字源』の最大限の活用」「B、I→N→Iのみの特殊装置で解読できる書」「C、TO→TI→TO(MANCHOHHOH)のみの特殊装置で解読できる書」「D、『B』と『C』とを併用して解読できる書」などとありましたが、出久根氏にも何のことだかさっぱりわからなかったそうです。


しかし、春本の台詞というのはだいたい型が決まっているもので、とくに江戸期のものはたいてい、女が「いく」か「いきます」と言って終わるものです。そこで、台詞に「武和、武和」「武乃遠比」が頻出することに気づいた出久根氏は、これが「いく」「いきます」であろう、と見当をつけて、法則性を解くのではなくだいたいの文意から文字を推測しながら、穴埋め方式で解読していきます。ちなみにこの暗号解読法は、ポーの『黄金虫』で主人公のルグランが用いたのと同じ理屈です。

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)



こうして、出久根達郎氏が解読した結果がこちら。

呂(ろ):あ 武(む):い 世(せ):う 奴(ぬ):え 保(ほ):お
部(へ):か 乃(の):き 和(わ):く 波(は):け 太(た):こ
之(し):さ 仁(に):し 比(ひ):す 曾(そ):せ 不(ふ):そ
天(て):た 美(み):ち 宇(う):つ 毛(も):て 与(よ):と
計(け):な 止(と):に 由(ゆ):ぬ 久(く):ね 末(ま):の
為(ゐ):は 幾(き):ひ 奈(な):ふ 知(ち):へ 利(り):ほ
遠(を):ま 良(ら):み 己(こ):む 加(か):め 女(め):も
左(さ):や 寸(す):ゐ 无(ん):ゆ 留(る):ゑ 以(い):よ
禰(ね):ら 安(あ):り 於(お):る 恵(ゑ):れ 礼(れ):ろ
婦(え?):わ 也(や):を 川(つ):ん


最初に挙げた『春本を愉しむ』という本では、この対照表をもとにして大石内蔵助と息子の主税のセックスライフ(まぁエロ同人小説なんだけど)を解読していくわけですが、結局、暗号の法則性はとうとう解き明かされずに終わるのでありました。


本来の「ひらがなの字源」からいえば「え」にあたる字は「衣」ですが、それがなく、かわりに「婦」が入っているあたりがヒントかもしれません。とはいえ、ぼくもずいぶん頭をひねって考えましたが、どういう法則性があるのかまったくわかりませんでした。



というわけなので、どなたかコレ一緒に考えてもらえませんか。お願いプリーズ。