悪党だけが笑っている!  こんな時代が気にいらねえ!!

6月22日(月曜)に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観てきて、いまだに感動が治まらない。

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

時間の都合で、とかくいろいろ言われている吹き替え版を観たんだけど、そもそも会話の少ない映画なので、主役がエグザイルでも何の問題もない。


ストーリーは、いたってシンプルだ。『マッドマックス』旧三部作をまったく観ていなくても大丈夫である。日本人の大半は『北斗の拳』を知っているはずなので、世界観にはすぐなじめるだろう。要するに、北斗神拳を使わないケンシロウが、牙一族の砦から脱走するマミヤとアイリの助っ人をする話である。


北斗の拳』は人体破壊のバイオレンスに満ちているが、少年誌に連載された漫画なので、性暴力の描写は控え目だ(マミヤはわりとひどい目に遭っているケド)。
牙一族篇では、牙大王とそのおびただしい息子たちが登場するが、息子たちを生んだはずの、牙大王の妻たちは出てこないし、娘もいない。モチーフになったであろう、スコットランドに伝わるソニービーン一族のように、近親婚によって作られた大家族なのだろうと予測されるが、女たちはひとりも登場しないのである。これは奇妙なことだが、ケンシロウやレイに女性を殺させないための、作劇上の都合でもあるだろうし、少年漫画ゆえに性的なモチーフを入れることを避けたという面もうかがわれる。


しかし、『マッドマックス』はR-15指定の映画であり、女性が性的に搾取されるモチーフが効果的に使われている。マックスが手助けすることになる、イモータン・ジョーの「妻たち」はジョーの子を産むための道具として扱われているし、ジョーの砦には、飲料用の母乳を搾られ続ける、ふくよかな中年女たちもいる。『北斗の拳』を通して日本の漫画に多大な影響を与えた『マッドマックス』だが、この辺はビザールなエロ漫画から逆に影響を受けたのではないかと妄想してしまう。後半で種もみを持った老婆が出てくるに至っては、日本の漫画ファンならニヤリとしてしまうところだが、「荒廃した世界で未来への希望をつなぐ」普遍的なモチーフなのであろう。というか、じいさんが命がけで守った種もみを、耕してもいない地面にぱらぱら撒いてしまうケンシロウは農業をなめすぎだ。

(これはバットが100%正しいよ……)


でもマックスはちゃんと、ババアが守っていた種もみをきれいな水のある土地まで持っていくので、ケンシロウよりは農業を知っているようであった。


マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、ストーリー上はシャーリーズ・セロンが実質的な主人公を務めていることもあり、フェミニズム映画だといわれることもある。たしかに、ジョージ・ミラー監督は女性たちの描写について、フェミニストの劇作家、イヴ・エンスラーを招いて協力を得ているが、テーマになっているのは単なる男女の性差別構造ではなく、もっと普遍的な、抑圧と搾取に対する異議申し立てである。イモータン・ジョーの私兵であるウォー・ボーイズは、ジョーのために戦って命を捨てることで永遠の幸福を得るという、殉教の思想を持っている。ホルスタイン女たちが乳を搾られるように、ウォー・ボーイズは命を搾られている。そんなボーイズのひとりであるニュークスが、マックスや女たちと関わる中でジョーの欺瞞を知り、奪われていた人間性を取り戻していくのも普遍的なテーマだ。そして、女たちもこの逃亡劇の中でマックスやニュークスと関わることにより、抑圧されていた人間性を成長させていき、ただ守られるだけの存在ではなく、自ら生きるために戦う主体となるのである。
現代の日本や諸外国にもみられる、抑圧と搾取への抗議というこのテーマに、女尊男卑などという妄想の入り込む余地は存在しない。男女平等なだけだ。
(貴重な種もみを、それが芽吹くことのできる土地まで導くというのも、男性性と女性性が等しく価値を持つことのメタファーといえなくもない)


とまあ、マジメぶった考察をしても楽しめる本作ではあるが、息をもつかせぬアクションの連続は圧巻だし、マックスたちと共闘するババア軍団のカッコよさは最高だ。石原慎太郎は「ババアは文明がもたらした最も有害なもの」だと言ったが、この映画を観れば、ババアこそ人類の宝だと誰もが認識するであろう(「おばあさん」とか「老婆」「高齢女性」などという生易しい呼称ではあのカッコよさは表現できない。ポリティカル・コレクトネスを無視してでも「ババア」と呼ぶしかない)。


盲目のギタリストが火を噴くダブルネックギターを演奏して戦意を昂揚させるという、狂ったモチーフもサイコーである。あのギターはどのモデルが原型なのだろう、といろいろ検索してみたら、2本あるネックの1本は6弦のギター、もう1本は4弦のベースになっている。ギター側のほうは、シングルコイル・ピックアップが3連に6列独立のダイキャストブリッジなので、機構的にはストラトキャスターをもとにしているようだ。



そのうち、このギターを自作するマニアもきっと出てくるであろう。『マッドマックス』とはそういう映画である。