幻の近代アイドル史

5月に出た本ですが、『幻の近代アイドル史』を読んだッス。

明治から昭和にかけて、主に寄席や劇場で若い男性の熱狂的な支持を集めた「アイドル」たちの系譜をつづった本です。


日本におけるアイドル史は、1970年ごろ、娯楽メディアの中心が映画からテレビに移っていったことにより、強烈な個性を持ったスタアの時代から親しみやすいアイドル(芸は未熟でもよい)の時代になった、と表現されることが多いです。

アイドル映画30年史 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)

アイドル映画30年史 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)

そして、21世紀になるとAKB48が劇場でのライブを中心とした活動を始め、銀幕→ブラウン管→舞台、という具合でファンとの距離が物理的に縮まっていった、と理解している人もいるでしょう。ぼくもそうでした。


しかし、これらの流れとは別に、都市部での劇場を拠点として活躍した「アイドル」の系譜があり、明治時代には娘義太夫が若者の熱狂的支持を集め、大正時代には浅草オペラや宝塚歌劇が人気となります。当時から、「芸は未熟ながら可愛らしさと媚びにより、馬鹿な若者を熱狂させる娘たち」が存在していたことが、よくわかる本です。



明治時代には、娘義太夫の語りが佳境に入ると、ファンが「ドースル、ドースル」と合いの手を入れるのがお決まりだったとのこと。現代でいえばミックスを打つようなもので、オタ芸は19世紀からあったということがわかります。ドルヲタの先祖ともいえる義太夫オタは「ドースル連」と呼ばれ、この言葉は昭和初期あたりまで使われていたようです。当時のおっかけは、人力車の時代なので本当に追いかけていって、自宅に上がり込んで炊事洗濯を手伝ったファンまでいたというからすごい時代です。


平岡正明は「山口百恵は菩薩である」と書き、濱野智史は「前田敦子はキリストを超えた」と書きましたが、明治時代にも「竹本綾乃助は歌舞の菩薩の来迎」と表現した人がいるので、これは日本の伝統なんでしょう。ジョン・レノンは「ビートルズはキリストより有名だ」と言ってバッシングされましたけど。

山口百恵は菩薩である (講談社文庫)

山口百恵は菩薩である (講談社文庫)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)



そして、大正時代には浅草オペラや宝塚歌劇、昭和に入ると新宿ムーラン・ルージュが、知識人に無視されつつ若者の熱狂的支持を集めるわけですが、この本を読むといつの時代もドルヲタ気質は変わらない、そしてドルヲタをバッシングする世論も変わらないということがよくわかります。


20世紀後半には、テレビが娯楽メディアの中心でしたが、AKBが「会いに行けるアイドル」を標榜したことにより、アイドルとファンのあり方も一種の先祖がえりを起こしている、そんな感じを受ける本でありました。