憲法と人権について概説

友人から「憲法って何? 法律と憲法の違いって?」と質問を受けたので、今日は初心者むけにわかりやすく「日本国憲法の精神と、自民党改憲案のどこがヤバいのか」を概説してみたいと思います。あくまで初心者むけなので、自民党へのネガキャンだなんだというツッコミはご遠慮ください。

憲法とほかの法律の違いは?

日本には数多くの法律があります。その中でも代表的なものが、憲法民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法で、これを六法といいます。
中でも憲法は特別な地位を占めていて、あらゆる法律は憲法に違反しないように決めなくてはいけません。憲法に違反した法律は無効とされることになっています。


ほかの法律の多くが、国から国民へ「これはやっていい、これはやってはいけない」とルールを課す形になっているのに対し、憲法は、国民から国へ「これはやっていい、これはやってはいけない」とルールを課しています。ほかの法律とはまったく逆です。
刑事訴訟法も、国が国民を裁く手続きを定めたものなので、国に課されたルールといえますが、あくまで憲法の下にある法律です)


国家権力が国民の幸せを侵害しないように、権力に制限を加えるのが憲法の役割です。

日本国憲法と人権って?

19世紀後半、日本は明治維新によって封建国家から近代国家に生まれ変わりました。そして自由民権運動を経て、明治22年大日本帝国憲法が発布されます。
この憲法では天皇が主権者とされており、国民の権利は、天皇から国民に与えられるもので、法律によって制限される、と規定されました。


20世紀前半の日本は、この憲法のもと、国のために国民が犠牲になるのは当然だという考えを持って世界大戦に参入し、多くの日本および近隣国の人々の命を奪い、その生活を破壊しました。
終戦後、その反省から、新たな憲法が制定されました。それが現行の日本国憲法です。


日本国憲法は、平和主義(戦争の放棄)、国民主権基本的人権の尊重を三本の柱としています。


戦前の大日本帝国憲法では、国の主権は天皇にあり、国民の権利は天皇から国民に(制限つきで)与えるものでした。そのため、国の都合によって国民の権利はいくらでも制限できたのです。表現の自由言論の自由も、国が認めたものにだけ与えられていました。大正14年には、政府批判を全面的に弾圧できる治安維持法が制定され、国民の思想の自由はまったく失われました。
しかし日本国憲法では、国の主権は国民のもので、天皇は日本国および国民の象徴という位置づけになっています。
国のために国民があるのではなく、国民のために国がある、ということがここで明文化されたのです。


そして、人権は国民が生まれながらにして平等に持っている権利であり、これを侵してはならない、と規定されました。
人権とは、人間が人間らしく自由で幸せに生きる権利です。
これを制限できるのは「公共の福祉」に反するときだけです。
「公共の福祉に反する」とは、ほかの国民の人権を侵害することであり、国家にとって都合の悪いことという意味ではありません。

義務と権利

日本国憲法には、教育・勤労・納税という国民の三大義務が記されています。
「権利を主張するならまず義務を果たすべきじゃないの?」という人は少なくないです。


しかし、人権とは、義務を果たしたご褒美として国から与えられるものではありません。
人権は、国からもらうまでもなく、誰もが持っている権利です。


「権利には義務が伴う」というのは主に商行為での慣習であり、国家と国民の関係をそれで表すことはできません。

憲法改正ってどうやるの?

日本国憲法では、改憲案は国会の両議院で審議され、衆議院参議院の両方で、それぞれ議員定数の3分の2以上の賛成を得ることで発議されます。
発議された案は、次に国民投票にかけられます。ここで半数以上の賛成を得ることにより、承認されます。


このように、憲法改正にはとても高いハードルが課されているので、改正は非常に難しいとされています。

自民党改憲案ってヤバいの?

今回の総選挙にあたって、自民党憲法改正案を発表しています。
これに批判を加える記事が、ネットにはいくつもあがっています。わかりやすく対照表になっているものを紹介しましょう。


http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm


ツッコミどころもわかりやすく書いてあります。


問題なのは、「公共の福祉」という国民目線の言葉が、「公益および公の秩序」という国家目線の言葉に変わったことです。
表現の自由を保障する第21条についても、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文が加えられています。これは戦前の治安維持法と同じ考え方です。


「権利には義務が伴う」と明文化するのも、人権に制限を加えたいという欲求の表れと考えられます。


第98条、第99条に定めている緊急事態の宣言も、かなり危険です。これは戒厳令にも等しいです。現行の有事関連法は、憲法に定められた交戦権の放棄と矛盾しないよう、国民の人権を侵害しないように定められていますが、改憲案では「何人も、国および公機関の支持に従わなければならない」とあります。「この場合も、基本的人権は尊重される」ともありますが、そもそも人権が「公益および公の秩序に反してはならない」ものになる以上、国はなんでもやりたい放題になってしまいます。国家総動員法の復活といっても過言ではありません。


国民主権立憲主義の大前提である、「憲法は国家を縛る法である」という原則も、第102条で完全に引っくり返されています。
憲法の役割がまったく逆になってしまいました。


こんな改憲案を出してくる自民党の議員はどういう考えの持ち主なのか、とくにヤバい人たちの発言がここにまとめられています。


自民党の西田昌司と片山さつきが、国民主権と基本的人権を否定してしまいました - Togetter
西田昌司参議院議員は「そもそも国民に主権があることがおかしい」、片山さつき参議院議員は「国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」と言っています。


西田議員の妄言は話題にする価値もないですが、片山議員へは批判だけでなく、かなりの支持も集まっています。上で紹介したまとめでも、片山議員を擁護するコメントが多数つけられています。


片山議員の「国があなたに何をしてくれるか、ではなく国を維持するために何ができるか」という言葉の元ネタは、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が1961年に就任したときの演説です。

ケネディ大統領演説集 CD付

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でも、ケネディの演説全体を見ると、人権は国が与えるものではなくすべての人が神から与えられていることを前提とし、国の主権は国民にあるのだから、ひとりひとりが国を動かすのだということの自覚を促すものになっています。


それに対し、片山議員のツイートは、国家という権力機構への従属を強いる意図しか感じられません。


安倍晋三総裁もそうですが、どうも自民党の人々は、3年前に自分たちが下野したのは国民に自由と権利を与えすぎたせいだ、と思っている節があります。


今度の総選挙で自民党が勝利したとしても、この改憲案がすぐに通るわけではありません。憲法改正には高いハードルがあります。


ただ、「私たちは国民の人権を制限することを願っています」と公言してやまないグループを、政権の座につけるとはどういうことなのか、いちど考えてみてほしいです。