ダラ・シンの謎

インドの英雄レスラー、ダラ・シンが亡くなったとのニュースが飛び込んでまいりました。


http://www.nikkansports.com/m/battle/news/p-bt-tp0-20120714-983018_m.html

力道山ライバル ダラ・シンさん死去

力道山(63年没)と戦ったインドの英雄ダラ・シンさんの死去を13日、インドのメディアが一斉に報じた。12日午前7時半にインド・ムンバイの自宅で心不全で死亡した。83歳だった。8日に危篤状態に陥り入院したが、11日に自宅に戻っていた。シンさんは1955年(昭30)11月に初来日、故力道山と名勝負を繰り広げた。68年にはインドで鉄人ルー・テーズと戦って勝っている。83年に引退後は、役者として多くの映画に出演した。(デーブ・レイブル通信員)

ダラ・シンといえば、『プロレススーパースター列伝』世代には重油とコールタールを混ぜたドロドロの地獄プールの中で水牛と戦った記録がある!」でおなじみ。なんでそんなところで戦うんだよ。

若き日のタイガー・ジェット・シンが憧れた名レスラーであり、彼の才能を見出したフレッド・アトキンスが「第2のダラ・シンを目指せ」と口説いたことからも、その存在感の大きさがわかります。


そんなダラ・シンは、昭和30年と昭和42年の2度、日本プロレスに参戦しています。外国人レスラーといえば悪役のイメージが強かった当時、反則をやらない正統派のダラ・シンは、日本のファンにプロレスの奥深さを知らしめました。


しかし、昭和30年に来日したシンと、昭和42年に来日したダラ・シンは別人である、というのがプロレスファンの定説になっています。



昭和30年に来日したダラ・シンは、力道山とのファイトで日本のファンに正統派インドレスラーを印象づけました。昭和35年には、弟のサーダラ・シンが来日します。こちらも正統派のテクニシャンで、コブラツイストを得意としておりました。そしてその7年後の昭和42年、ダラ・シンとサーダラ・シンの兄弟タッグが来日し、ダラ・シンは「久しぶりの日本」の印象を語ったりしています。
ところが、力道山と戦ったダラ・シンはルー・テーズとの文通の中で「一度だけの来日」の思い出を語っており、サーダラとともに来日したダラは初代とは別人である、といわれています。とはいうものの、当時の写真を見てもよく似ており、同一人物のようにも見えます。


この謎に切り込んでいったオールド・プロレスファンの調査記録がこちら。



ファイル54 ダラ・シン別人説を追え!
ファイル55 ダラ・シン別人説を追え! パート2
ファイル56 ダラ・シン別人説を追え! 暫定的完結編


調査の結果、インドにはダラ・シンを名乗ったレスラーが3人いることがわかりました。

KILLER DARA SINGH

1922年(?)DULCHIPURIA村出身。身長は198cm前後。幼少時代からレスラーとなるが、1951年に殺人罪で逮捕、1955年に釈放された。1963年に世界王者になるが引退。80才の時、故郷で逝去。

ダラ・シン(昭和30年版)


本名はSHRI DARA SINGH。通称CHOTA DARA SINGHもしくはDARA SINGH RANDHAWA。1928年 DHRAMUCAHKIA村出身。身長は185〜188センチ。KILLERの投獄中に有名になった。シンガポールで東南アジア遠征中の力道山と対戦。秋には「アジア選手権大会」参加のため、キングコングらと来日を果たした。テーズとは親友でレスラーから映画俳優、政治家に転身した。映画に多数出演、インド政府のサイトに紹介されている。流氏(ワッシュ注:流智美)との文通の中で「力道山に招かれ一度だけ日本に行った」との記述あり。

ダラ・シン(昭和42年版)


昭和42年にサーダラ・シンと来日。CHOTAによく似ているが別人であることは、多くのファンの証言から間違いはなさそう。経歴は不明。1974年頃にトロントに登場したダラ・シンによく似ている。


蛇足:さて、最後にサー・ダラだが、その一族の名前RANDHAWAを愛称としていたことから考えると、KILLERの弟ではなく、SHRI(CHOTA)の弟だったのではないだろうか?

初代ダラ・シン(キラー・ダラ・シン)は、警察官や軍人を経てレスラーとなるものの、殺された兄の仇を討って殺人罪で逮捕され、その服役中に2代目ダラ・シンが登場したとのこと。キラー・ダラ・シンはその後ネール首相の恩赦によって釈放され、またレスラーに復帰したらしいです。


キラー・ダラ・シンは80歳で亡くなっているとのことで、今回訃報が伝えられたダラ・シンは、映画俳優としても活躍した2代目ダラ・シンで間違いないようです。



では、3代目ダラ・シンはいったい何者なのか? サーダラ・シンはなぜ赤の他人を兄と称して帯同しなければならなかったのか? 疑問は尽きませんが、それもインド・レスリングの神秘ということで今日はこのぐらいに。