木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

増田俊也の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』をようやく読み終えました。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

非常に読み応えのある(物理的にも)本でしたが、実のところ、木村先生が力道山のブック破りに反撃できずKOされたというこれまでの俗説を覆すものではありません。それどころか、いろいろな格闘家のところに力道山vs木村戦のビデオを持ち込んで「真剣勝負なら木村先生が勝っていた」という証言を引き出そうとするものの、木村先生のトレーニング不足や危機意識の欠如を指摘され、「これでは勝てない」と結論づけるあたりは物悲しいものがありました。

  • その2


いま観られるこの動画は、力道山側によって編集されており木村優勢の場面が6分ほどカットされていますが、それでも、おおまかな流れはつかめます。試合の前半は、ちゃんとプロレスの基本である左組みで行われており、本来は右利きの木村先生が左の一本背負いを出していることからも、この試合がプロレスとして開始されたことがわかります。


異変が生じるのが、「その2」の1分19秒あたり。セオリー通りに左で決めていたフロント・ネックロックを、力道山は右にスイッチしてしつこく締め上げます。ここですでに力道山のブック破りは始まっていたと考えられます。その後はちゃんとロックアップもせずぎこちない動きの末、木村先生が力道山の下腹部へ蹴りを出したのを皮切りに乱打戦となり、力道山がまず右のナックルパンチから張り手を連打。たまらず木村先生はタックルにいくものの、力道山はロープにもたれかかってテイクダウンを阻止。この辺は、木村先生の師である牛島辰熊先生の指導で寝技対策をしっかりしてきた力道山と、「実力なら自分の方が上」とナメてかかり、試合前夜にまで深酒していた木村先生の、意識の差がハッキリ出てしまっています。


で、ここで破れた木村先生が、題名のように「なぜ力道山を殺さなかったのか」は、結局のところ決定打が出ることはありません。というか、殺さないのが当たり前であって「なぜ殺さなかったのか」と考えること自体がおかしいといわざるを得ません。


実はこの本の主眼は力道山戦にあるのではなく、明治から現代まで、柔道界を支配した講道館史観の見直しにあるんですね。


明治から大正時代には古流柔術の道場がまだ多くあり、講道館柔術諸流派のひとつにすぎなかった(「柔道」の語も講道館だけが使っていたわけではなかった)こと。東の講道館に対し、京都には大日本武徳会があってそちらも独自の段位を発行していたこと。講道館とは異なるルールの高専柔道が隆盛をきわめていたこと。それが、戦後になるとGHQによって武徳会は解散、学制の変更によって高専柔道は消滅、そして講道館と表裏一体の全柔連が発足したことによって柔道が講道館に一本化されていったという、語られざる柔道史がここで発掘されています。そして、講道館の主流を占めた三船久蔵派によって華麗な投げ技で一本を取るのが「正しい柔道」とされ、武道として当身や関節技を取り入れることに貪欲だった牛島辰熊木村政彦ラインの排斥が現在も続いているわけですね。


そんな木村先生の名誉回復は、1993年の第一回UFCホイス・グレイシーが優勝し、木村先生へのリスペクトを表明するまで待たなければなりませんでしたが、そのわずか数ヶ月前に木村先生は亡くなっていた、というのも人生の悲しさを感じさせます。9月30日に死去したラルフ・スタインマン教授に、10月3日にノーベル医学生理学賞が授与されたというニュースにも通じるものを感じます。


ノーベル賞の故スタインマン教授「発表まで持ちこたえる」


木村先生と牛島辰熊先生の師弟愛と確執もすごく、戦後間もなく旗揚げされたプロ柔道が崩壊したのは木村先生が牛島先生を裏切って新団体を作り、海外へ逃亡したためで、牛島先生が力道山に打倒木村の特訓をほどこしたのもこの裏切りに対する報復だというから、まさに事実は小説よりも奇なりというか、梶原一騎の劇画でいえば空手バカ一代』より『カラテ地獄変』に近いといってもいいでしょう。

カラテ地獄変 牙 3 (別冊エースファイブコミックス)

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ただこの本には欠点もあって、著者の増田氏は柔道出身者なので柔道関係者には詳細な取材をしており、事実関係も必要以上なほど詳しく書かれています。ですが「いかに木村政彦が強かったか」に終始しており、相撲関係者への取材はあまり見られず「力道山のガチンコの実力はいかに」についてはほとんど触れられていません。プロレス転向後の、ユセフ・トルコ(柔拳出身)や遠藤幸吉(柔道出身)から「寝技は弱かった」という証言が得られている程度で、力道山が本当に木村先生より強かったかもしれないという可能性は、まったく考慮されていないといってもいいです。


木村先生は15年不敗の不世出の柔道王だ、それに引きかえ力道山は大相撲で関脇どまり、という比較論もよく聞かれるところですが、相撲の番付と柔道の実績を比較することがいかにナンセンスか、プロレスラーの異種格闘技戦によって侮辱されてきた(と感じる)柔道関係者がわからないはずないと思うんですけどねぇ。


あと、この本は「ゴング格闘技」に4年にわたって連載されたのを単行本化したものなので、同じことを何回も書いていて、ややくどいきらいがあります。とくに「昔の柔道の段は現代より重かった」と、耳にタコができるほど繰り返しています。


まぁそういう欠点はあるものの、武道に興味のある方、総合格闘技ファンの方なら必読の書であります。とくに、ラストで明かされるある事実には衝撃を受けること必至です。中二病の妄想は現実だったのか………