オイディプスの神話

タイガーマスク運動」によってにわかに伊達直人が注目を集めていますが、実は、『タイガーマスク』は梶原一騎のキャリアにおいて特異な地位を占めている作品です。

タイガーマスク (7) (講談社漫画文庫)

タイガーマスク (7) (講談社漫画文庫)

この作品は、1968年から69年まで講談社の月刊誌「ぼくら」に、69年から71年までは「週刊ぼくらマガジン」に、71年後半は「週刊少年マガジン」に、と雑誌の休刊やリニューアルに合わせて掲載誌を異動しながら連載されました。


とくに71年の「ぼくらマガジン」休刊が与えた影響は大きく、永井豪の『魔王ダンテ』もこのため未完に終わったのですが、「ぼくら」時代から看板作品だった『タイガーマスク』はさすがに打ち切りにはならずに「少年マガジン」に移籍します。しかし「ぼくらマガジン」よりも対象年齢層が上だった「少年マガジン」には、「ぼくら」のカラーが強く残っていた『タイガーマスク』はなじまず、しかも「少年マガジン」では『巨人の星』が終わった直後で『あしたのジョー』はまだ連載中、新作『空手バカ一代』が企画中というタイミングだったこともあって、『タイガーマスク』は打ち切りに近い不本意な最終回を迎えることになりました。


よく知られているように、原作のタイガーマスク最終回は、NWA世界チャンピオンのドリー・ファンクjr.(当時のドリーはプロレス界最高のテクニックを誇っており、また後年の善玉ギミックとも違い、反則もこなすオールラウンダーであった)に挑戦するために試合場へ向う途中、暴走ダンプにひかれそうになった少年を助けて事故死します(悪役レスラー養成機関「とらの穴」は、上田馬之助の活躍によってすでに壊滅していた)。このエンディングに不満を感じる読者は多いことでしょう。


これに対し、アニメ版は対象年齢が原作より高めに設定されていたこともあり、より荒々しくハードな物語が展開され、最終回は原作を大きく離れることになります。チーフライター辻真先らが脚色した結果、伊達直人は「虎の穴」総帥であるタイガー・ザ・グレートとの戦いで正体を暴かれ、タイガーマスクという仮面を失います。そして伊達直人は、「虎の穴からもらった物をすべて貴様に叩き返してやる。そして俺は伊達直人に戻るのだ」と、グレートに対して封印していた反則技で凄絶に攻め込み、ついには、照明器具を落下させるという史上最大の反則技でグレートを死に追いやるのです。

タイガーマスク VOL.18 [DVD]

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この最終回を、梶原一騎はおおいに気に入っていたといいますが、実はこの展開は、梶原一騎が終生にわたって試みながらついに描くことができなかった「父親殺し」の物語なんですね。


梶原一騎作品には、父性との戦いというモチーフがとてもよく見られます。『巨人の星』における一徹・飛雄馬父子の愛と確執、『斬殺者』における無門鬼千代と宮本武蔵、そして『空手バカ一代』や『カラテ地獄変』『人間兇器』で繰り返し描かれた、大山倍達とその弟子たち。

斬殺者 (上) (Magical comics (3))

斬殺者 (上) (Magical comics (3))

いずれも、主人公の前に立ちはだかって試練を与える巨大な父性に対し、それを超えようともがく者たちの姿を描いています。そして、どの作品においても、けっきょく主人公たちは父性を超えることができずに終わるのです。それが最も顕著に出たのが『カラテ地獄変』で、大山倍達梶原一騎の関係悪化もあって、大山をモデルにした大東徹源は、弟子の牙直人(悪質な孤児院出身である!)を鉄砲玉として数々の理不尽なミッションに従事させ(最初のころは他流派への殴りこみとかだったが、次第に独裁者打倒と革命政権樹立とか、どう考えても武道修行の域を超えたものになってしまう)、成功しても褒美も与えずにさらなる危険な仕事に向わせます。牙はそんな師匠に反発し、何度か「俺は先生の操り人形じゃない」と拒否するのですが、けっきょく己を生かす道は大東空手より他にない、と師匠の下に戻っていくのです。空手バカ一代』にしても、連載後半は芦原英幸が事実上の主役にはなるものの、いざとなると(香港カンフーの李青鵬との対決とか)やはり大山倍達が最強キャラとして登場してくるという有様で、弟子たちはどうしても倍達を超えることができません。現実には、極真会館を出て自流派を立ち上げた人は枚挙に暇がないんですけど、漫画の中ではあくまで倍達の門下として、弟子という立場に甘んじています。『四角いジャングル』では、アントニオ猪木と戦うためにウイリー・ウィリアムスと大山茂が破門になりますが、それとてあくまで建前上のことで、倍達は自分の経験に基づいたレスラー対策を「思い出話」と称して授けたりしているので、けして父性を超克することは実現されないのです。
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(↑『四角いジャングル』で検索したらこれが出てきた。どうしてこうなった)


そんな、父性の超克というエディプス・コンプレックステーマを、自作ではついに描ききれなかった梶原一騎。それを実現したのが、梶原の原作を辻真先が脚色して描いたアニメ版『タイガーマスク』だけだったというのは、梶原一騎の作家性を考える上で興味深いところですね。


ちなみに、同じように「父性の超克」にこだわった劇画原作者が雁屋哲で、『美味しんぼ』における山岡と海原雄山の確執はすぐに思い浮かびますが、『男組』でも主人公の流全次郎は二度にわたって父殺しを乗り越え(一度は実父殺しの汚名を着ることで、二度目は南条五郎から猛虎硬爬山を伝授される場面で)、敵方の神竜豪次も、育ての父を倒したうえ、実父である影の総理に戦いを挑んでいます。

男組 3 (My First WIDE)

男組 3 (My First WIDE)

野望の王国』ではさらに愛憎が濃厚に描かれ、父親でこそないものの強大な父性で主人公の前に立ちふさがる兄の征二郎と、彼を誰よりも愛しながら立ち向かわずにおれない弟の征五郎との運命的対立に、彼らを丸ごと抹殺せんとする国家権力の象徴たる柿崎が絡むことによって、ドラマツルギーに過剰な盛り上がりを与えていたものでした。
野望の王国完全版 8 (ニチブンコミックス)

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このように、かつては並び称されていた梶原一騎雁屋哲ですが、テーマの消化ぶりにおいては雁屋に軍配が上がり、梶原はその消化しきれない部分にこそ面白さがあった、という点が好対照だった、といってもいいでしょう。


全国に波及したタイガーマスク運動では、さまざまな漫画のキャラクターを名乗った寄付があるようですが、「山岡士郎」とか「海原雄山」名義だったら意味がわかんなくて可笑しいだろうなぁ。