悪役レスラーは笑う・いちごジャム殺人事件(下)

力道山の真実 (角川文庫―門茂男のザ・プロレス (6010))

力道山の真実 (角川文庫―門茂男のザ・プロレス (6010))


昭和37年、4月27日の夜。


兵庫県警から「観戦中に倒れた老人が亡くなった」と聞かされた力道山。そのショックの引き金となったのが、グレート東郷の割れた頭に巻かれた手ぬぐいから、仕込んであったいちごジャムが飛び散って老人の頬に付着したことだったのを知るや、手ぬぐいを持ってきて東郷の頭に巻いた張本人たるユセフ・トルコを、怒りを込めて呼びつけたのでありました。


この日の朝、トルコは親しくしていたミスター・アトミックのギャラアップ要求を伝えたことにより力道山と激しく衝突しており、その気まずさのせいかなかなか姿を現しません。怒り心頭の力道山の前にトルコがやってきたのは、”指名手配”から一時間余も経ってからのことでした。


力道山は、すでにコトのバレたユセフ・トルコがかしこまった顔をしているのを目の当りにしていると、次第に怒りが消えていくのを覚えて「わしは県警の偉いさんに平謝りに謝って、このことをいっさい外部には発表しないようお願いしたが……お前さんどうして、あんな子どもじみたことをやらかしたんだ?」と問います。


トルコは、激怒した力道山に殴打されるものと覚悟していたのが、意外にもソフトな言動に終始するのに安心してか、得意げにこんなことを言い放ちます。

朝日新聞がブラッシー、東郷たちの流血戦で何人もの老人がショックで死んだ――と、書き立てて、あんたもその言い訳で頭を随分と痛めているでしょう。たまにはジャム入りなんかのものがリング・サイドに飛び、それをジャムと確認した人の口から”東郷のヒタイから飛び散る血は、血ではなくジャムだ”などという言が出て、みんなに伝わったら、コトは漫画チックになり、今のような大きな社会問題にはならんだろうと思ったことが一つ。と、その噂が全国的に一通り飛び散ったあと、今度は本当の血を流すところを見せてやれば、プロレスを八百長呼ばわりしている観客たちにいい見せしめになって、効果抜群じゃあなかろうか、と思ったのが第二。


これに対し力道山は、

バカ野郎。血はあくまで血であらねばならん。一度でもみんなが噂している血糊だとか、今度のようなジャムを使ったのが、お客さんに知れてみろ、今まで、俺たちがヒタイを割られて血をドクドク流していたのが、全部、偽物ということになっちまうじゃあないか。コップの水のなかに一滴のインクを入れれば、その水はすべてインク色になっちまう……

ジャム殺人事件の真相が外部に漏れたときのことを思い、背筋をば冷たくしながらこう言いました。この事件については秘密主義が守られたのか、門茂男氏の『ザ・プロレス 力道山の真実』以外の本では読んだことがありません。


もしこのジャム入り手ぬぐいをユセフ・トルコ以外の男がやったとしたら、力道山はその男を断乎として許さなかったに違いない――門茂男氏はそう述懐しています。


ユセフ・トルコは、体格もパワーもテクニックも自分より劣るグレート東郷が、手抜きレスリングを”流血”という下品な手法でショー・アップしてみせることに大いなる反発を感じており、この不平不満が”東郷の流血など真っ赤な偽り、その実はジャムだ”と暴露しようという決意に結びついたのではないか、と考えても不自然ではないでしょう。


それから6年後の昭和43年。


東郷は、力道山の死後に「二度と日本のプロレス界に関わらない」という約束で日本プロレスから多額の手切れ金をせしめていたにも関わらず、TBSの主導により国際プロレスにブッカーとして参加しようとします。


これに対し、日本プロレスのレフェリーであったユセフ・トルコは、付き人の松岡厳鉄とともに東郷の宿泊するホテル・ニューオータニの客室を郵便配達員を装って襲撃し、袋叩きにするという、こちらは『プロレススーパースター列伝』にも載っているほどプロレス史に名高い「グレート東郷リンチ事件」を起こしています。

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

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実は芸風も金銭感覚もよく似ているこの二人だけに、なにかと縁が深かったんでしょうね。