殿さまウォーズ

東京都知事選に伴うもろもろのズンドコ(細川候補のニセ公式サイト登場、田母神俊雄を熱烈に応援するネトサポ勢による自民党BBS炎上、小泉家の骨肉の争い、舛添要一の応援をもと妻の片山さつきに要請して断られる自民首脳陣、などなど)には苦笑いしか出ない今日この頃ですが、こんなニュースまで飛び込んでまいりました。


【都知事選】「細川氏には悪代官が付いてる」“秋田の殿”が苦言 - MSN産経ニュース 【都知事選】「細川氏には悪代官が付いてる」“秋田の殿”が苦言 - MSN産経ニュース

 秋田県佐竹敬久知事は20日の定例記者会見で、東京都知事選に出馬表明している細川護煕元首相について、小沢一郎生活の党代表らが支援している事実を挙げ、「細川さんは殿様でしょうけど、悪代官をいっぱい付ける」と語った。

 肥後細川家の18代当主である細川氏に対して、佐竹北家21代当主の佐竹知事が苦言を呈した形だ。

 佐竹知事は「小泉(純一郎)さん(元首相)はいいが、小沢さんだとか、いろんな人が付いてきた。付録がね。勝ち馬に乗って国政にまたと…。悪代官を切り離して孤高の戦いをするならいいが、変なのがゴジョゴジョ寄ってきて曖昧になる」と述べた。

 佐竹知事は会見場を出る際も「細川さんはそんなに古い大名じゃないんだ。700年くらい。400年くらいうちの方が先輩だ」と、“殿”同士の対抗意識を見せた。

日本の地方政治って今でも藩政だったっけ?
日本人は殿様に弱い、という国民性はなかなか変わらないですね。

江戸大名家事典 (Truth In History)

江戸大名家事典 (Truth In History)


ただ、佐竹氏はたしかに清和源氏の古い家ですが、細川氏室町時代には管領を務めた格の高い大名家であり、先輩後輩では語れないと思いますけどね。


佐竹氏は長くにわたって関東に大きな勢力を持っていましたが、戦国時代の当主佐竹義宣は、関ヶ原の戦いには積極的に参戦せず、上杉景勝と密約を結んでいたことが発覚したともいわれ、徳川家康によって常陸水戸54万石から出羽秋田20万石への減転封を余儀なくされます。


このとき、譜代大名の大物だった細川忠興は、「大大名である佐竹氏に、秋田だけの所領では家臣を賄いきれない」と進言したのですが、家康の側近である本多正信・正純親子の反対によって却下され、佐竹氏は苦しい藩政を強いられたのでありました。
本多正純はのちに宇都宮吊り天井事件によって失脚し、秋田の横手に流罪となり、因縁のある佐竹義宣のもとで幽閉生活を送って失意のうちに亡くなります。住居は逃亡をふせぐためぐるりと板戸で覆われ、まともに日も差さない環境だったといわれています。


仇敵ともいえる本多正純には容赦なかったようですが、細川氏は、佐竹氏をかばおうとした恩のある家なわけですから、あんまりコケにするのはどうかと思いますけどね。


まぁ、いずれにしても400年前の話なんて持ち出されても困るんですけど。