牛を屠る

昨日は、仙台文学館で開かれた「せんだい文学塾」10月の講座に行ってまいりました。


今月の講師は、野間文芸新人賞作家である、佐川光晴先生です。

牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)

牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)

この「文学塾」には、エンターテインメントから純文学まで、幅広い作風の作家や評論家が講師として参加されています。講座のスタイルもそれぞれ異なり、軽快なフットワークで幅広い話題を入れる方もいれば、ストレートに題材を掘り下げていく方もいます。文章のテクニックや構成の技術を重視して具体的な指摘をされる方もいますし、書くという行為について根源的に問いかける方もいらっしゃいます。


軽快なフットワークで豊富な話題を入れるタイプの典型が、8月にいらした平山夢明先生だとすると、今回いらした佐川先生はストレートに掘り下げていく、対照的な講師スタイルだといえるでしょう。2時間の講座の間いちども話が横道にそれることがなく、それでいて聴衆の興味をぐいぐい惹きつけて離さない、その引力を生み出す真摯さには圧倒されっ放しでした。


今回のテキストに、主人公の友だちが死ぬものがあったのですが、佐川先生は「安易に死で辻褄を合わせないで」と厳しい意見を。「死」のイメージは一様ですが、「生」はひとりひとり違う多様さを持っています。そこを書かなくてはいけません。


佐川先生は、「なぜ書くのか」を重視されています。自分のどこがフィクションを必要としているのか見つめ、自分の傷を広げていく。苦しんでいる時間を微分していく作業が、創作というものなんですね。


で、新人作家の小説を読むと、どうしても先人の顔が透けて見えるといいます。でもそれは批評になっていれば良いのであって、顔の見えない読者と張り合うよりも、先人と張り合うほうが書きやすいとのこと。


先人に似ることは悪いことではなく、むしろ本気で似せようとすることによってオリジナリティが生まれると、佐川先生はおっしゃっていました。


人間は、自分の短所を認めることは心理的ラクなものです。ダメな自分を認めることより、自分の良い部分を認めることのほうが勇気がいるんですね。その勇気が、創作には必要とのことでした。



講座の後の懇親会では、佐川先生が新潮新人賞を受賞された際に審査員を務めたという縁のある、佐伯一麦先生もゲストとして参加されました。

仙台闊歩新書 「杜の日記帖」

仙台闊歩新書 「杜の日記帖」

佐伯先生と佐川先生の文学談義を間近に見ることができ、たいへんな贅沢をさせていただきました。


次回の講座

来月の「せんだい文学塾」講座は、小池真理子先生を講師にお迎えいたします。

Kiss―接吻

Kiss―接吻

  • 日時:11月27日(土) 16時開場、16時半〜18時半開講予定
  • 会場:仙台文学館 講習室

〒981-0902 宮城県仙台市青葉区北根2丁目7−1 022-271-3020
(会場へのアクセスはこちら→http://www.lit.city.sendai.jp/guide/access.html

  • 受講料:一般2000円、学生1000円、高校生以下無料
  • 問い合わせ・申し込み先:sendaibungakujuku@gmail.com
  • 定員:90名

混雑が予想されますので、お申し込みはお早めにお願いします。